映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「アイ・アムまきもと」 死んだんじゃない殺したんだろ


☆クライマックスに関するネタバレあり☆

寓話だと思って、そんなに真剣に取り合わない方がいいのだろうか。

阿部サダヲ演じる牧本の「無垢」「天然」「空気が読めない」は『キャラ』だと割り切って、笑うか、ほっこりしていればいいのだろうか。

ただキャラと割り切るには他の人物とのリアリティラインが合わない。例えば、國村隼の実在感。目に障害があることを示す演技はコクソン級。キャラ演技ではなく、リアリティの真剣を振りおろしてくる。ほか主要キャストも実在感バリバリで人物造形している。

そうなると必然、牧本のような人が実際に世の中に存在したらどうなるのかとシリアスに想像してしまう。結論から言うと彼は生きていけない。仕事に就けない、友人ができない、結婚ができない、社会に受け入れられない。こういうことになる。(アレ⁈オレもだ💦)

昼間は裸の大将のようなコメディ色の牧本だが、帰宅後の部屋での描写は恐ろしくリアリティのあるものだ。殺風景な部屋、粗末な食事、死者の写真のスクラップ。まるで霊安室のような部屋で寒々しく孤立している牧本にゾッとする。意図的に複数回こうした胸が痛くなるような場面がインサートされる。

牧本は作品の都合で殺されたのだと思う。

ああして物語を閉じるしかなかった。満島ひかりと結ばれるはずがないし、すでに役所でも居場所がなくなっている。生きていても世界から排除されるイメージしかできない。

阿部さんが演じるから牧本を滑稽だと笑えるが、実際に彼のような「無垢」がいたら笑えない。誰もつき合わない。

映画は彼が死んだことでうまく収まってしまった。「そんないい奴がいたよね」という都合のいいほっこり。この映画は牧本で物語を回しておいて、最後は置き所がないから殺した。殺して神様みたいに祀った。

あとは残った”正常な”人物たちが、しおらしくしたら映画は終われる。葬儀場でのオールスターによるバトルロイヤル。宮沢りえ満島ひかり國村隼松尾スズキ、でんでん、嶋田久作文学座小林勝也。名人が一堂に会して、無言で圧巻の芝居を披露して観客の留飲を下げる。なによりここにいるべき阿部サダヲがいないという不在の存在感がとどめを刺す。

やっぱり殺人だろ。作品が牧本を殺したんだろ。映画を感動的に終わらせるために。

牧本のような奴が生き続ける可能性を示すことに「がんばったがんばった」しなきゃダメだったんじゃないのか。

あみ子、牧本、ウ・ヨンウ弁護士…
やれやれ。

私が難癖つけているのかどうか、ぜひ劇場でご覧になってみてください🐖

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