映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「バービー」 この生きづらさとの葛藤

□そして人生は続く...

ビルケンとシックな服をまとったM・ロビーが
みんなに送り出されて笑顔で歩き出す

爽やかなラストシーンに心が快哉を叫ぶ

と同時に思う
そして人生は続く...

M・ロビーの すなわち私たちの
「自分らしさ」を求める旅は
これからも再出発が繰り返されるのだ

バービー人形は
女性を「よき母」という呪縛から解放した
そしてフェミニズムを50年遅らせたと罵倒された

自分らしさの追求
フェアな社会のあり方
美しさの真価

これらはとどまることがない

よかれと思って成し遂げた変化は
数年後には陳腐化してしまう

アップデートし続ける「自分らしさ」
すべては生きづらさを解消するために

ラストシーンは
終わりであって終わりではない

いつかバービーは いやバーバラは
また涙する日が来るかもしれない
そして人生は続く...


□完璧ではないからこそ美しい

この映画の白眉であるベンチのシーン

このろくでもない世界で
いがみ合う人や苦悩する人々を
バービーはしげしげと見つめる

そして隣の老人に気づく

so beautiful

完璧ではないからこそ美しい
ルッキズムに囚われていないからこそ美しい

いま世界はみんなで運動をしているのだ
自分らしく生きる人を美しいと定義しようと
もがいて生きることを美しいと呼ぼうじゃないかと

ピンク色の世界は確かに完璧だ
「ハイ!バービー」と笑顔であふれている

このろくでもない世界は
不完全で 欺瞞で 卑怯で 資本主義で
苦しいことばかりでまったく泣けてくる

でもバービーは
それを美しいと涙を流した


□自分は好きになれない

素晴らしい映画であった一方で
能天気にはなれない優れた作品だった

例えばM・ロビーの容姿を美しいと感じる
そのことが自分を憂鬱にさせる

自分らしさは他者に決められるものではなく
ケンはケンであり 自分は自分だと映画は言う

でも正直なところ鏡に映った自分は好きになれない
そのままの自分を許すのはとても難しいことだ

もしうまいことそのままの自分を愛すことができたとして
では「そのままの誰か」を愛することはできるのか

M・ロビーの容姿にボクは下半身が重だるくなる
毎晩必死で容姿端麗なAV女優を探している

ルッキズムは外側から押しつけられた価値観なのか
自分の中に根源的にある欲情なのか

そのままの自分は認めてほしいと希求するくせに
美しい女以外は目に入らないという浅ましさがある

そもそも自分にしたって
空っぽの伽藍洞だということを知っている

自分らしくと言っても実は自分なんてないのだ
他者からの評価によって自分を規定しているだけだ

文が書けて優しくて個性的な人
そう言ったのは自分ではなく他者なのだ
その他者の評価の切れ端にしがみついている
これは本当に「自分らしさ」なんだろうか

そのダイエットや筋トレは誰のためにやっている
人は他者のためのダイエットをやめられるのか
人は他者のための筋トレをやめられるのか
そもそも自己と他者の判別さえつくのか

ビルケンを履く自分
死に近づく自分
口臭とセルライトのある自分
それを美しいと思えるか
それが自分らしいと言えるか

やはり旅は続く...


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映画「マイ・エレメント」 分断に苦しむ大人など乗り越えて

ルッキズムに依存しない

炎のエンバーちゃんの太ももに欲情していた

そう告白したら
みんな引いて去っていくんだろうか

いやいや劇場はちびっこだらけだから
ちゃんとすかした顔して観てましたよ

でもエンバーのスカート短かくね?!
でもエンバーのスカート短かくね?!

ヘンタイ?
炎のキャラの太ももに反応するなんて?

いやいやいやいや
いやいやいやいや
オレのせいじゃないっすよ
ピクサーのせいです

オレだってまさかあんなちんちくりんの
炎女の太ももにドキドキするなんて
自分が驚いていますよ

でもエンバーを見てたら健気に思えてきて
なんか好きだなぁってなってきて
ところでスカート短すぎだろってなって
そう言えばオレ足フェチだったんで
きみぃそりゃ足出し過ぎだろってなって
足ばかり見ていたのでございます

声が川口春奈だから
なんだか彼女の太ももを見てるような...

だから!

ピクサーが偉大なのです
インサイドヘッド』もそうだったが
あんな冗談みたいな風采のキャラに感情移入させてしまう

彼らは全然ルッキズムに依存しない

ピクサーは本当に圧倒的な実力派であることを
私は自身の欲情をもって証明いたしました

□メタファーに胡坐をかかない

人種 部落 移民 貧富 身分

この楽しいアニメは
私たち観客が目で見たものを
頭の中で”実社会のなにか”に自動変換するという
不思議な映像体験を与えてくれる

炎のエンバーは黒人やヒスパニックの住人で
水のウェイドは白人青年といった感じで見えていた

多くの方もキャラクターアニメではなくて
実社会でもありそうな階級闘争だったり
『ロミジュリ』や『ウエストサイド』に
変換して観ていたのではないだろうか

ただこの映画が「メタファー」であることだけを
売りにしているならきっと説教臭くてかなわない

もしそうならば思わせぶりなことしてないで
おぞましい人間社会をちゃんとリアルで表現しろよ
と思ってしまうだろう

でもピクサーはメタファーに胡坐をかいたりしない
楽しく知的なアイデアで観客を魅了する

だからメタファーをわからない子どもたちが
夢中になってこの不思議な擬人化映画を観ている

□共生のメタファー

炎のエンバーが街に出るとき
自分の出自を隠すように深くフードをかぶる

水のウェイドは自分の体をレンズにして
エンバーと同じように火を起こしてみせる
ぼくたちは一緒にやれるよと示すために

人種や門地の違いに人間が苦しむように
惹かれあう炎と水にもふたりを隔てる深い溝がある

実社会ではそれを「分断」と呼ぶ
古今東西僕たち人間は仲良くなれない

近づくほどに
炎は水を
水は炎を
傷つけてしまう

ピクサーはこの楽しい映画を通して
共生のメタファーを提示した

賢さと諦めない心で
ついに炎と水は手をふれ合うことができた

その待ち望んだ瞬間はラブシーンとして
類まれな清々しさと欲情があった

客席の子どもたちの目にはなにが見えていたのだろう

分断や差別に苦しむ大人たちなど乗り越えて
君たちを阻むフェンスなど水の粒子で通り抜け
炎の熱で焼き切ってほしいんだ

それもこの映画みたいに
楽しく賢くね


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映画「さらば、わが愛/覇王別姫」 かつて確かにあったのだ

□言葉にできない

今日は珍しく隣にまで人が座っている
その女性は上映中何度も口元を抑えた

頭でブロックを割る場面で
子どもたちがお尻を叩かれる場面で
もちろん幼き主人公の6本目が斬られる場面でも

客席には人が多く
リアクションもあった
パンフレットも売れているようだ

30年前はVHSで観た
言葉にできない衝撃
それを分かち合う人もおらず
ひとりで飲み込んだ

今回は劇場で多くの人と観られてうれしい
しかし言葉にできないような気持ちに変わりはない



□短絡的な言葉

“運命”なんて言葉は出来るだけ使いたくないが
映画が進むにつれてその印象が濃くなる

主人公の小豆子が母に捨てられたこと
兄弟子小石頭の優しさに心をゆだねたこと

芝居の才能と美しさが開花してしまったこと
抗日戦争から文化大革命に至る中国で生きたこと

それらは避けがたい彼らの運命に思える
人が抗えないものがこの映画には描かれている

3人は互いを愛して 深く憎んだ
文字にすれば愛憎というたった2文字だけれど

コン・リーは反目するレスリーを抱きしめさえした
レスリーは彼女の胸で「おかあさん」とつぶやいた

こんな場面に立ち会っていると
それなら3人はどういう生き方をすれば
幸せだったのか私には皆目見当がつかなくなる

運命

随分と短絡的な言葉が浮かんでしまう



□1993年の私

ねぇ30年前に何を見ていたの

ひどく打ちのめされたことは憶えているけど
まだ年若かった私はこの映画の何を見て
言葉にできない衝撃を受けたのか

 古く美しいものが朽ちる無常
 憎んでもまた愛してしまう人の業
 人心を狂わす芝居の魔力

文革の粛清の場面
炎が立ち 陽炎のように空気が揺れ  
人の形相がゆがむ

ついに小石頭が小豆子と京劇を裏切る
ペイントレスラーの試合後のように
化粧は無残になっている

菊仙を淫売だと糾弾した小豆子
美しいはずのレスリー・チャンの顔は
道化師のように泣き顔に見える

菊仙は生気がない顔をキャメラにまっすぐ向ける
コン・リーの瞳は伽藍洞だ

これを観て1993年の私は何を思ったのだろう

さらば、わが愛
でもかつて確かにあったのだ
だからこそ「さらば」と消えたのだ

そのことを私はわかっていたのだろうか



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映画「658㎞、陽子の旅」 陽子という明るい名前の彼女

□「外で待ってる」

チャットでユーザーからの質問に答える仕事
画面越しの心ない言葉に傷つけられる

和室のアパートにはベッドとローテーブル
トイレットペーパーをティッシュ代わりにする

夜はノートPCを枕元に横立てして
配信ドラマを見ながらいつのまにか眠っている

化粧をしていない菊地凛子
別にきれいってわけじゃないけど

このみすぼらしい生がどこへ進むのかと
すっかり虜になってしまった

だって彼女はまるで自分みたいだから

そこに従兄の竹原ピストルが訪ねてくる
父が死んだという

明日12時が出棺だから車で青森に向かうのだ
彼は早く支度をしろと言う

「外で待ってる」

□生きてる人間とは話せない

スマホが壊れサービスエリアで取り残される
そうすると人間は地球上で独りぼっちになる

「青森まで乗せてくれませんか」

ずっとひとりだった彼女はうまく話せない
トイレの個室でそのセリフを練習するほどに

ときおり幻影のように現れる父親には
饒舌に話せるのに生きてる人間とは話せない

□彼女の顔は美しかった

東京から福島、宮城を通過して青森へ

いい人がいた
悪いやつがいた

彼女は海で眠り波をかぶり
寒いと言って狂気のように笑った

野積みされた汚染土の黒い袋が広がる景色
おかしくなってしまったのは東北の大地なのか
それとも人間の方なのか

心なしか傷ついた土地の住人の方が
彼女に優しい気がする

「なんの なんの」と
車に乗せても押しつけがましいところがない

彼女は最初のころ”ありがとう”が言えなかった
それが老夫婦の手を握って頭を垂れたり
切々と感謝の言葉を紡ぐようになる

そうなるにはこの一晩で
彼女はあまりに傷ついたのだが



リンゴ畑 落ちてくる大きな雪片 暗い空
もらった青いマフラーと厚ぼったいブーツ

相変わらず化粧のない彼女
父の家の前に降り立った彼女の顔は美しかった

竹原ピストルが出てきた
出棺はまだ待ってもらっていると言う

658㎞
間に合わなかったのに間に合った

「中で待ってる」

陽子に向かってそう言った



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映画 すごすぎて/あきれすぎてレビュー書けねえよ事案

こんにちは!
映画ご覧になってますか?

劇場に通ってると作家性全開で
感想を言葉にできないような
そんな作品にも出会いますよね

すごかったり
あきれたり
憤ったり
理解不能だったり
平伏したり

そんで口をあんぐりさせてると
レビューを書き損ねます

全部書いてる方はすげーなー!

気づけば書かないやつが随分たまってました
ま、怠けてたんですけど😆

でも本当に「いまの自分にはまだ書けない」って
そんな作品もあるんじゃないでしょうか

みなさんのそんな言葉にできない
憎いあんちくしょうな映画作品を
ぜひ教えてください!

レビュー!?
すごすぎて書けまへん
あきれすぎて書きまへん

#TAR 
#青いカフタンの仕立て屋
#スパイダーマン #アクロスザスパイダーバース
#オレンジランプ
#ザフラッシュ 
#せかいのおきく
#薔薇の名前
#はい泳げません
#怪物
#少年と犬
#ドラゴン危機一発
#君たちはどう生きるか
#1秒先の彼
#異端の純愛


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映画「山女」 私たちの山と心はどこにあるのだ

□稀代の眼力

山田杏奈、森山未來永瀬正敏である
品川徹、でんでん、三浦透子である
そして山中崇川瀬陽太赤堀雅秋である

この俳優陣を前に
観ない理由を見つけられなかった

ちなみに御年88歳の品川徹氏は
大杉蓮と同じく沈黙劇の「転形劇場」の俳優で
ドラマ『白い巨塔』の大河内教授のその人である

メインビジュアルの山田杏奈の眼力と眉毛

山田の強い眼差しにはいつも心を掴まれる
特に『ひらいて』(首藤凛監督)においては
目力を超えてもはや悪人の目つきになっていた

実際山田が演じる女子高生には悪があり
まるで自家中毒のように自分がまき散らした悪に
焼き尽くされていく天晴な堕ちざまであった

ということでそんな山田が錚々たる実力派を従えて
タイトルロールを務めるのが本作『山女』だ


□目を凝らして見えるもの

飢えにおびえる東北の寒村

生きられなかった赤子を川に流すとき
山田演じる口数少ない凛が小さくつぶやく
「つぎは 人さ生まれてきては だめだよ」

遠野物語』から着想を得たこの物語は
強靭な世界観で見る者を”村社会”に誘って来る

夜のシーンでの漆黒は深い
私たちは役者の表情が見たくて目を凝らす
それでもよく見えない

見えないのか
そもそも村人には表情などというものがないのか

目を凝らして見えてくるのは
社会の暗渠であり
生きることの不条理だ

アメリカ生活の長かった福永壮志監督は
土着的な漆黒の中に日本の本質を映し出そうとする



□その山はどこにある

人はひとりでは生きられないから社会をつくる
けれどいつか人は社会で生きられなくなる

社会(村、国家)のために自分を押し殺し
犠牲になることを強いられる

社会を守るために私は私でなくなっていく

家族をかばい村を追われて山に入った凛
皮肉にも社会を捨てたとき彼女は人間の顔になった

対して村人たちはどうか

ジャンヌダルクよろしく凛を火刑に処すとき
為政者は自らは手を下さなかった
「やれ」
ただ火のついた松明をふたりの無役の男に渡した

ふたりの男は自らの心とは裏腹に人を殺める
社会のためにとふたりは心を押し殺し
本当は自分をこそ殺している

これは300年以上前の
まだ人間が野蛮だったころの物語だろうか

いや法務大臣が署名して
職員が死刑を執行するのと何が違うのだ

凛には山があった
そして人間社会なんて
うんざりだという強い心があった

私たちの山とそんな強い心はどこにあるのだ


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映画「時をかける少女」(2週間限定上映) 繰り返せないから美しい


□「7月13日」

劇場のロビーには若い人が目立ちます
この作品は17年も前のものなんですが

2006年に公開された細田守監督の
時をかける少女』が2週間限定で上映されています

特に今日7月13日は劇中での日付と一致する

主人公の真琴がタイムリープを繰り返すうち
生きることは取り戻せないからこそ
美しいと気づいてしまうその日です

私たち観客は幸福です
繰り返しこの作品を観ることができる
真琴はもう時間を繰り返すことができないから
一刻も早く未来へ行こうとしてるというのに

一回性を描いたこの作品に
今日たくさんの人が集まっています

□あなたがいる未来

教室での他愛もない会話
30点だった小テスト
男女3人での野球
制服から伸びた長い手足

そのとき登場人物たちは知らない
それらこそが全部青春であるということを

そして観客は知っています
スクリーンに映っている彼らの日常は
高校生が終われば二度と巡ってこないと

青春と夏はやけに相性がいいです
永遠に続くように思える暑さは
実にあっけなく終わる

終わることに気づかずキャッチボールする人物たち
終わることを知っていてそれを見守る私たち観客

「待ってられない未来がある。」

年なんてとりたくないと人は言いますが
劇中で真琴はまったく違うことを言います

 あなたがいる未来へ すぐ行く 走っていく

友人の功介は自身の最後のセリフで真琴に
「前向いて歩けよ」と声をかけます

そう時間は戻せない
だから前に未来に進むしかない

未来を楽しみにしていたのはいつだったか
変えたい未来があったのはいつだったか

夕陽に輝く河川を背景に
別れを惜しむ真琴と千昭を観ながら
そのことが思い出せないのです


□夏が映っている

夏の大きな白い雲が
真琴たちを見下ろすように
スクリーンいっぱいに映される

そのとき胸がしめつけられます

人物たちの感動的なセリフではなく
無言の背景が映ったときにたまらなく感動する

それは真琴や千昭ら人間たちが
相対化されるからだと思います

夏の白い雲
夕陽を反射する川面
無人の教室とグランド

ふだん自分では気づいていないけれど
人間はこういう大きく不動の世界で生きている

悔やんでも戻ることのできない不可逆な世界を
小さな存在でありながらひたすら走って生きている

夏の大きな白い雲は人間たちの
はかなさや健気さのようなものを際立たせます

二度と巡って来ない時間の美しさと残酷さ

この映画には
奇跡のように夏が映っています


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