映画「死刑にいたる病」 すでにあるシリアルキラー
水中から岸辺を見上げたキャメラアングル。
水の揺れと合わせて地上の景色もゆらゆら揺れる。
おぼろげな様子だが、誰かが岸辺にやってきたのがわかる。
人物の縁取りは青みがかって揺れていて、なんだか現実感がない。
人物が手を高く挙げる。
誰かに手を振っているのか。
いやちがう。
手元からハラハラとなにかがこぼれ落ちる。
水面に花びらを蒔いているのか。
アングルが変わり、水面の花びらのようなものがアップになる。
花びらのようなものには血がついていることがわかる。
#白石和彌 監督の新作「 #死刑にいたる病 」のオープニングシーン。
#阿部サダヲ 演じる榛村というシリアルキラーと、彼と関わった人々、彼に殺された人々を描いた映画。
白石和彌監督の作品には、関わらない方がいい人物ばかりが登場する。
「凶悪」のリリー・フランキー
「凪待ち」の香取慎吾(あとやっぱりリリー・フランキー)
「かの鳥」の蒼井優
「孤狼2」の鈴木亮平
そして本作の榛村=阿部サダヲ。
すべての人物の闇や悪魔ぶりはすさまじい。
そして何より彼らは「決して治らない人間」ということに心がざわつく。
シリアルキラーはなぜ生まれるのか。
先天的な要素と幼少期の環境の相互作用で、攻撃的で反社会的な行為に傾倒すると言われる。
幼少期に受けた虐待や愛情の欠落を因果関係として語られることは多い。
そうであるならシリアルキラーは、病もしくは生まれた境遇の結果ということ。
本人には抗いようもなかった末のパーソナリティ異常ということになる。
だとするとシリアルキラーの行動に私はどういう感情を描けばいいのか。
ここは映画館だ。
そのことに向き合う時間は2時間用意されている。
この物語はフィクションだ。
だからこそケーススタディとして考えるには適切なのだ。
シリアルキラーになってしまったこと自体は気の毒だが、社会や他者に甚大な被害を与えるから早い段階で駆除や隔離するのがいいのか。
シリアルキラーが生まれないように幼少期の教育に最大限のリソースを公共機関が投入するのがいいのか。
シリアルキラーの発生をゼロにすることは不可能だから、少しでもその兆候にある者とは関わらないようひとりひとりが警戒するのがいいのか。
映画館で悲しくなってくる。
作品を否定しているのではない。
人間がシリアルキラーになってしまうという現実に悲しくなる。
自分の中にも闇や業はある。
それが運よくシリアルキラーというところまでは行きつかなかっただけだ。
それは比較的幼少期の環境が恵まれていたか、遺伝子にシリアルキラーの因子がなかったからなのだろうか。
そしてこれが裏返ると「死刑にいたる病」に罹患してしまう。
自分なりの具体的な対策を考えた!
まるで押しつけがましいオトナの教訓みたいでとてもイヤだが、シリアルキラーになるわけにはいかない。
贅沢なことは言ってられないでしょうが!!!
1 早寝早起きをする
夜の闇ではろくなことを考えない、朝の光ではろくなことは考えづらい🌄
2 植物や動物の世話をする
愛や慈しみの感情を育む🐱🐶🌻🌵🌱🌷
3 ウォーキングやランニングを習慣化する
身体を動かしている健全な状況で自分と対話する😆
あと脚力を鍛えてシリアルキラーからダッシュで逃げられるようにする🏃
わかってますよ、しょうもない対策だということは。
あとは白石監督の作品をよく観て、シリアルキラーやモンスターの怖さをよくよく認識する。
だめだ、こんなもんで精一杯だ。
白石監督、ままならないものばかり見つめて一体どこへ行くのですか。