映画「Winny」 開発は自分の表現なんです
□『Winny』(2023年3月公開)
監督・脚本 松本優作
出演 東出昌大 三浦貴大
これは興味深い。
「ナイフをつくった者は罪なのか」
使う側の倫理ではなく、開発者の性を罰する国家。
開発意欲のない国にしないために闘った人たち。
このテーマをじっくり考えた経験はなかった。
そして「Winny事件」を通じて私たちの国の実相が透けて見える。
□使う側の倫理
国家はWinnyを開発した金子氏(東出昌大)を「著作権法違反幇助」で逮捕し、”いつもの警察のやり口”で起訴する。
映画は奮闘する弁護士・壇(三浦貴大)を軸に進行する。
やや難解なプログラム知識については弁護団にも素人がいるので、観客は置いてきぼりにならない。
金子はピグモンのような手つきでPCを操り、何を考えているのかつかみどころがない。
サブストーリーで「警察内部の裏金作り」が並行して描かれ、物語に奥行きをもたせている。
この開発者逮捕について、興味深い例え話が提示される。
ナイフで人を刺した者は悪いが
ナイフをつくった者も悪いのだろうか
ナイフはステーキを食うためにつくられたのに。
なるほど、では例えば…
爆弾で人を殺した者は悪いが、爆弾をつくった者も悪いのだろうか。
爆弾は何のためにつくられたのか??
人殺しのため?工事などで発破するため?
それとも開発者は何も考えてないでただつくった??
□プログラム開発は表現
東出昌大が見事に演じた金子の言動を見ていると、目的については特に考えていない気がしてくる。
金子は子どもみたいで、小動物みたいで、言語化が苦手だ。
金子はこう語る。
話すことが苦手で、普通のこともよくできない
プログラム開発が自分にとっての“表現”
そこに山があるから登るように、ただ開発したくなるのが開発者の本能なのではないか。
それは深く共感する。
私たちは仕事でもスポーツでも思いやりでも文章でも、“表現”できたとき自分を実感できる。
目的を考えて表現しているのではなく、自分に表現できる力があるなら出し切りたい。
開発はある意味純粋で、開発者に倫理は存在していない。
それは「火」だって、ノーベルの「ダイナマイト」だって、「原子力開発」だってそうだったのではないか。
問われているのは使う側の倫理。
必要だったのは開発者狩りではなく、有効利用のための検討と議論。
日本の国力が衰退したと言われて久しいが、こんなところに一因がありそうだと感じ入った。
□手渡された無言の時間
監督は前作「ぜんぶ、ボクのせい」でネグレクトや売春といったテーマに気骨な眼差しを向けた松本優作。
本作は薄暗い色調で、暗闇の中でパソコンの無機質な光が金子の顔を照らす。
それはこの国の仄暗さを象徴していたように感じた。
あざとい演出はなく、物語に耽溺することができる。
ただ裁判の場面で、最終陳述を終えた無言の金子の表情をキャメラ長くは映し続けた。
金子の瞳と無言の数秒間が観客に手渡される。
監督の怒りを感じた。
金子氏は最高裁で名誉を回復したが、42歳で早世した。
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余談です。
弁護士事務所の女性スタッフ役を演じた木竜麻生の服が毎回違う。
10着ぐらいは用意されたんじゃないかな。
他の映画でもよく見かけるが何でそんなことをするんだろう。
現実的なパターン数で着回す方が実在感あると思うんだけど、どうしてファッションショーのごとく毎回変えさせるんだろう。
このへんのことご存知の方いたら教えてほしいです。
木竜さんは大好きなので、だからこそ余計に余計なことが気になって仕方ない。
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