映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「流浪の月」 地獄の底で手をつないだふたり

さあ、2016年「#怒り」以来の李相日(リ・サンイル)監督の登場です。

「流浪の月」

前作「怒り」のキャストは覚えてますか。

#妻夫木聡、#渡辺謙、#宮崎あおい、#綾野剛、#松山ケンイチ、#広瀬すず、#森山未來

もう列挙するだけで震えるオールスターですが、全然キャストに負けないのか監督・#李相日 です。

怒りは誰の怒りなのかって、李相日の社会や人間に対する抑えきれない怒りという感じがします。

かわいい広瀬すずや美しい宮崎あおいからスマイルもオーラを分捕って、一個の孤独な俳優としてスクリーンに放り込んでました。(彼女らもなにくそと打ち返しておりました。)

観客としては『心ん中に手ぇ突っ込まれて奥歯ガタガタ言わされた』映画でした。

だからも李相日の映画は必ず観ようと決めました。

さて「#流浪の月」ですが、広瀬すず松坂桃李のふたりが並ぶフライヤーが公開されて、『やっぱり全開でくるぞ、ふぅー』と思いました。

gaga.ne.jp

なんせすずちゃんの目から生気がまったく感じられない。

またしても李相日とすずちゃんで超絶なやつを仕掛けてくるのだろうと。

先にすずちゃんについて結論を言うと「シン・広瀬すず」でした。

ご存じのように奇跡のキラキラを放っていた彼女ですが、今回は鈍く暗い光を内に宿す女優にシフトしていました。

ちなみにもはや日本映画の宝となった松坂桃李ですが、シン・ウルトラマンより細身でした。
肉体改造上等のトウリ・アプローチですね。

作品は、ワンショット目から「全力」「渾身」というのが伝わってくるものでした。

緩急なんて知ったことか、全ショットを160キロのストレート、完全試合で勝てないなら、全打者フォアボールで負けても構わないという気迫。

そのバッキバキに極まったショットの連続から、李相日の半端な共感は求めないという覚悟を感じました。

だからなのか、人物が無言のショットや情景のショットが多く、遠慮なくそれらに情感込めて客席に投げ込んできました。

こちらも心が腫れるくらいミットをど真ん中に構えて受けました。

いいいんです、こうなることは予想通りですから。

それからクローズアップショットの乱れ打ちでした。

人物を画角いっぱいに映すことを前衛的というくらいに多用していました。

これダメな映画になるリスク高いのに、イヤではなかったです。

ただ人物はだれひとり説明するような顔つきをしていなかったです。

人物の顔(=心)にどんどん接近していくのは、自然主義調の映画や批評性のある映画と異なり、人物たちの心の叫びに耳をよせて聴くような体験でした。

李相日はこれでもかと美しいショットやクローズアップショットをたたみかけて、凡百なカタルシスを破壊しようとしていたように感じました。

既成概念と戦うこと、現代映画を超克することこそが表現者の使命であると言わんばかりに。

そう、テーマ的にも李相日が提示してきたのは破壊と創造だったと思います。

肉体がつながれない者は愛を得られないのか。

愛は本当になければいけないのか。

たとえば大人の女性に興味がないのはおかしいことなのか。

魂が犯罪者のもとへと行きたがるのはいけないことなのか。

社会とか法規とかは、どちらかというと人間のためよりも為政者のためにつくられた枠組みであるから、本来芸術家にとってはどうでもいいものです。

むしろ「人間とはなにか」を明らかにするうえで、社会というやつがいかに人間を殺しているかが表現によって顕在化するのはよくあることです。

つまり李相日がつきつめた先に見せたのは、社会からこぼれ落ちたところにいる松坂桃李広瀬すずは社会的に不幸だったけど、人間的には本当だった、ということでした。

映画館に来ている観客たち。

時間をつくって入場料を支払って映画を観ることができるということは、おそらく社会的成功者と言わないまでも、社会の枠組みにとどまることができている人たちです。

だけど私たち観客にもあるのです。

社会的規範へのぬぐい難い違和感や自分の性的なものへの絶望、強烈な自己欺瞞...こういったものをすべてすべて剥いでしましたい瞬間が。

広瀬すずは恋人役の #横浜流星 から殴られれば殴られるほど、社会から叩かれれば叩かれるほど、むしろ本来の瞳の色に戻っていきました。

本当の自分に戻って、広瀬すずはもうなにも恐れずに #松坂桃李 のもとに帰っていったのです。

地獄の底で手をつないだふたり。

そんなふたりを、観客は心の底から嫉妬するのです。