映画「七人楽隊」 あと1回、あと1回という焦燥
7人の香港映画監督によるオムニバス。1950年代から未来にかけてまでの香港を監督たちが分担して描いていく。
歴史を振り返ると香港も実に数奇なところだ。
1842年 アヘン戦争後、イギリス領となる
1941年 第二次大戦下、日本領となる
1945年 終戦後、イギリス領に復帰
1997年 中国復帰
2014年 選挙の民主化を求めて雨傘運動
2019年 逃亡犯条例に反対して200万人デモ
2020年 香港国家安全維持法
2022年 世界の報道自由度148位に転落
7本の作品には香港の「風景」と「人の気質」が焼き付けられている。
しかし、風景も気質も時代とともに移ろう。それは当たり前のことであり、風景と気質が変われば香港もゆるやかに変わっていく。
それでも、どの時代にも通底するものはある。
それは彼らの無常観だったり、優しさだったり、弱さと強かさだったりだ。風景で言うと光の眩しさ、空気の柔らかさ、影の湿っぽさだ。
これらは日本人である自分ともすごく親和性がある。外国映画で感じる「異邦人」の意識がなく、日本映画を観ているときよりも懐かしく、セピア色で胸が満たされ苦しく甘やかな気持ちになる。
純朴さとずる賢さ、死者への寄り添い、初恋の焦れったさと面倒くささ、進取と郷愁の気性、勤勉と金への執着…それぞれの作品は15分程度なのに人物たちがすぅーと馴染んでくる。既知の間柄のような気持ちで人物たちを信じて観ていられる。
7人の巨匠たちはなぜ今こうして香港を描いたのか。なぜ香港へのラブレターのような映画を結託して撮ったのか。テーマや意図が声高に語られることはない。
消えゆく香港を思って映画で香港の愛を語っているのだろうか。香港への哀惜を語っているのだろうか。
200万人デモの結果、香港は「風景」と「人の気質」だけでなく、「香港」そのものが決定的に変わっていく。そのことへの哀惜。時代が変わっても変わらないと思っていた「香港的なもの」が消え去る恐怖。不易流行の不易すら根絶やしにされる大陸の足音。
この映画をあと1回、あと1回と観に行きたくなるような焦燥にかられる。あの香港の光を、空気を、ブラジャー姿で駆け出した彼女の不器用さを観ておきたい。何度観たからと言って消えゆくことには抗えない、それこそが無常だということは知っているはずなのに。
「幸せに暮らすのは本来簡単よ」
劇中のこのセリフは希望なのか。それともアイロニーなのか。まだ考えている。なぜか壁を感じない敬愛する香港人にあっては、どうか前者であってほしいと願っている。
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