映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「わたしのお母さん」 映画の観客でよかった

映画が終わったあと「おもしろかったですねぇ」と見知らぬ観客に話しかけたかった。

こんなにいい作品を観たのになんでそれを喜び合うこともせず、独りで帰らなきゃいけないんだと悲しかった。

娘を演じた井上真央。その娘がどうしても好きになれない母が石田えり。それから脚本・監督の杉田真一氏。

3人のことをずっと忘れないだろう。

井上真央井上真央井上真央

井上真央の無言ショットに彩られた映画。

この無言からなにを受け取ればいいのか。真央ちゃんの”感情”か。いや真央ちゃんはビー玉のような目をして感情すら漂わせていない。彼女がタバコを吸う佇まいもタバコを吸う以上でも以下でもない。見事だ。スクリーンを観ていてワクワクする。
 
無言から受け取れるのは”関係”だ。物言わぬ真央ちゃんのショットを見つめていると母・石田えりとの隔絶した”関係”が見えてくる。

「関係が見える」

映画だァという充足感が湧き上がってくる。これは説明でも、言葉でも、ストーリーでもない正真正銘の映画だ。映画の観客であったことの喜びがあふれてくる。

オレは愛ってものがわからなくて、もっと言うとそんなものないんじゃないかと思っていて、もしあるとするならば親から子に対してだけではないかと考えている。でも真央ちゃんは親からの愛が感じられない。親は大事にしなければとか、親への感謝とか、そういう理屈はわかっている。でも親の愛をうまく感じられず、だから親に優しくすることもできない。

酔いつぶれて玄関に横たわる母のかたわらで添い寝する娘。パジャマ一枚で板の間は冷たかろう。彼女は眠る母の顔を黙って見つめている。

この風景になんと名前をつけよう。"愛"と呼ぶには娘の瞳は頼りなく、ただ"母娘"と呼ぶだけでは何かはかない。名状しがたいぼんやりした関係しか持ちえないかもしれないが、それでも生きろ生きろと客席から人物たちに賛歌を送りたくなる。

映画終盤の展開はうますぎて唸った。母娘の衝突を頂点としてなんらかの和解によって一条の光が差す…こんな展開をぼんやり想像していたオレの頭上をやすやすと超えていった。

真央ちゃんのラスト。演技の加減はあれがいい。あれ以上でも、あれ以下でもない。さすが井上真央。やっとだね。もう遅いよ。でもしょうがないよね。抱きしめていなよ。匂いがするかい。だれも悪くないよ。

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