映画「ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」 娘を抱けないスターというシステム
歌声が注目されて、彼女が笑う。
眩いライトを浴びて、彼女が笑う。
スーパーボールで歌い、彼女が笑う。
彼女の最期を知っているだけに、全ては終局へのカウントダウンのようで胸が痛い。一段ずつ駆けあがるスターへの階段が、「十三階段」のように感じる。
高く登るほどに落下の衝撃が大きくなるというのに、何も知らない彼女は無邪気に笑っている。
神は才能と引き換えに彼女の命を持ち去る。
いや、そんな詩的な言い回しに酔っていていいのだろうか。歌の世界は犠牲者が多すぎる。つまり個人の問題ではなく、構造的な問題なのだ。
親族が、関係者が、スポンサーが、観衆が、スターを骨までしゃぶって殺してしまう構造になっている。音楽業界の薬物との親和性、無知につけこむ不当な契約、健康に配慮しないスケジュール。
俗世から距離を置いたはずの表現芸術が、最も俗な経済搾取に組み入れられている。
表現芸術の最高峰に立つことの恍惚は、生きる幸福となんら相関しないことを認識する。世界の誰よりもCDを売っても、自分の娘を抱きしめることさえ許されないのだ。
スクリーンを前にして、市井の人間としてこのちんけな人生をありがたく思う気持ちと、命を奪われながらも最高峰からの景色を眺めることができた選ばれし者への嫉妬と、ふたつながら我にある。
#ホイットニーヒューストン
# I WANNA DANCE WITH SOMEBODY
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