映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「時代革命」 あなたたちは自由のとりこ


2019年香港の民主化デモを描いたドキュメンタリー。

映像で観るその様相はデモというより内戦で、香港は戦場だった。

体制維持のためなら自国民を粛々と殺す「国家の実相」が映っている。

普通選挙の実現などを要求したデモ参加者は、香港市民700万人のうち200万人にのぼった。

参加者の中心は10~30代の男女で、SNSを駆使し、機動的な戦略を実行する。

それでも、

負けるとしか思えなかった。



絶対に国家が勝ち、一切の要求を受けつけないという確信。

空撮が捉える「水のように」を合言葉に走り回り、助け合う聡明な市民たち。

しかし、たとえ参加者が300万人になっても400万人になっても勝てないだろう。

国家のリソース(武力)は潤沢であり、体制維持のプロフェッショナルであり、弾圧のマインドセットが完了しているからだ。

マフィアを雇って市民を襲ったり、活動家を不審死という形で殺す狡猾さもある。

また長期戦に持ち込めば、市民が脆弱することは必至だ。

選挙がなく支持率に左右されない政府は、市民を本気で抹殺できる。



香港人は敗北した。

「香港国家安全維持法」が公布された。

死者や自殺者を出したこのデモは無意味だったのか。

どうせ負けるなら何もしない方がよかったのか。

それは違うだろう。

香港人は命よりも自由を選ぶと自分たちを定義した。

彼らは自由のためなら勝敗をかえりみず立ち向かうというアイデンティティーを獲得した。

彼らはこれで香港人になった。

だから彼らはいつか自由を獲得する挑戦権を持っている。

香港人=自由を求めるという誇りさえ失わなければ、香港というエリアに固執しなくてもいいのかもしれない。どこに住んでも、どこに国家をつくっても、バーチャル空間でも、彼らは香港人だ。

自由を求める誇り高き民。

私の貧弱な考えだが、デモの成功には
①国家(警察、政府)内部からの反乱 ②外交圧力
を引き出さなければ、強固すぎる国家を妥協させることはできないと思い至る。 

映画を観ているとき片時も自分のこと、日本のことを忘れなかった。

客席で私は憂鬱であった。

客席で私は哀しかった。

客席で私はドキドキしていた。

なにより客席で私は恥ずかしかった。

#香港人
#時代革命
#キウィチョウ
#映画好きと繋がりたい