映画「ロストケア」 苛立ちはどこから
□答えを出すべきでない問いがある
戸田菜穂が演じた親の介護に疲れ切った娘。
彼女が傍聴席から松山ケンイチに「人殺し、人殺し」と絶叫したときの獣のような咆哮。
介護で限界になっていたが、それでも親が殺され猛り狂った。
親の介護を続けていたら、戸田菜穂の方が生活と精神が壊れて死んでいたかもしれない。
親が死ぬか、子が死ぬか。
まるで「トロッコ問題」のような過酷な問い。
しかし、こういう不毛な問いには答えを出すべきではないと考えます。
それは親が死ぬのも子が死ぬのも、どちらも間違いだからです。
答えのない問いというものもある。
きっとそもそもの設問が間違っている。
この問いは戸田菜穂に突きつけるのではなく、社会全体で「高齢化対策をどうするか」という問いを立てるべきだと思うのです。
□涙を流す時期は終わった
2025年に65歳以上は人口の約30%に達し、75歳以上の人口は2,180万人となる。
これが事実。
本作は非常に意義がありますが、社会はこんな映画をつくらせていてはいけないと思います。
こんな問題提起は今さら自明のことで、なんの意味もないという状況にしなければならない。
私たちも客席で“介護殺人”に涙するような時期はとうに過ぎました。
介護は家庭問題ではなく、国家問題。
戦争やゴジラに一個人が悲嘆に暮れても出口がないように、37.7万人の介護職員不足の到来を現場や家族に縋ってはいけない。
・介護従事者を公務員にして大増員をはかる
・諸外国の介護職員を招致する
・尊厳死の規定や法整備を進める
当然これらの策には財源問題、外国人問題、倫理問題が伴います。
しかし問題から逃げる選択はもうありません。
2035年は人口の1/3が高齢者になります。
「問題」はもう発生している。
この国家は壊れたのですから、建替えかリノベが必要です。
今の家にはもう住めないと認める。
□イライラする
正直に言うと鑑賞後に苛立ちを覚えました。
社会問題をエンタメにするなと言いたいのではありません。
社会問題や人間の苦悩こそどんどん描いてほしいと渇望しています。
けれどイライラする。
松山ケンイチも長澤まさみも素晴らしかったです。
何よりこの題材を映画にした製作陣に感謝しています。
でも心が粟立ちます。
この映画は絶望を共有するだけで、衝動が感じられなかった。
こんな映画を作るくらいなら、キャスト/スタッフが官邸に介護政策の提案に行ってくれた方がいいのではないかと考えてしまう。
長澤まさみが相手ならあの人も本当に聞く力を発揮するかもしれません。
いや、もちろんわかってます。
これは映画です。
ただこっちも真剣になってしまうからこそ、物足りなさに対して怒りに似たものが湧いてしまうのです。
しつこいけど感謝しているのです。
ドキュメンタリー映画『妖怪の孫』を観ました。
国家の行く末を問題視する素晴らしい取材内容でしたが、最後締めの場面で映像がストップしました。
「監督の内山です、このまま映画を終えていいのかと思ってしまいました」
そう言って監督がはじめて声を出し、娘さんの写真を出して、日本の平和と将来を本当に心配していることを語り出しました。
私はこの映画がここまで積み上げたものと監督の肉声に感動しました。
『ロストケア』も何らかの方法で、人物たちのもう一歩先を描かなければいけなかったのではないでしょうか。
破綻してもいいし、つまらなくてもいい。
でもトラウマになるほど忘れられない作品に会いたかった。
オレの心が狂いそうになるほどの。
それほどに今回相手にした題材は大きく強烈だからです。
私のエゴかもしれない。
けれどこの作品を贔屓にしたいからこそ引き倒しにはしたくないのです。
違うか。
本当は自分に苛立っているのか。
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