映画「三姉妹」 絶望を経験した人の明日への眼差し
こんにちはノブです。
今日は全国で順次公開されている「三姉妹」です。
女優賞を席巻しているのも納得の面白さです。
いってみましょう!
客席から三姉妹たちを傍観しているつもりでいたら、終盤怒涛のように彼女たちの生活史に巻き込まれ、もう彼女たちを他人事とは思えずラストショット(まさに”ラストショット”ですね)を迎えることになりました。
圧巻の構成力、見事な映画です。
まずそれぞれ3人の生活が丹念に映し出されます。
覇気がなく惨めそうな生活を送っている長女、教会活動に熱心だが独善的で家庭不和である次女、表現活動がままならず酔いつぶれている粗暴な三女。
それぞれが重荷を抱えて今日を生きていますが、共感するには至りません。
演技や演出は人物に実在感があってバツグンにいいのですが、人物にはクセがあるし、心情をベタに説明する下品な演出ではないので、観客は安易に三姉妹へ共感するようにはつくられていません。
このあたりは今になって思えば、作品の巧妙さでありました。
また三姉妹の個性がバラバラなので、あまり姉妹の繋がりを感じられません。
3人でそろうことも終盤までないので姉妹の繋がりどころか、互いにどんな関係なのかも明かされないのです。
すべては終盤の怒涛の展開に向けて張り巡らされていた仕掛けであるとも言えます。
ただ楔は打たれていて、映画冒頭から何度か差し込まれる子ども時代のモノクロ映像が、三姉妹の背景と関係をひも解く重要なピースとして与えられています。
さじ加減含めてうまい差し込み方です。
そしてとうとう終盤。
家族たちが全員揃ったところで三姉妹の過去、背景、感情が爆発します。
爆発のトリガーとなったのがフレーム外から登場してきた三姉妹以外の人物だったというのも非常に面白いところで、作品に奥行きを与えています。
そして観客の私は、「そうだったのか」と、とうとう三姉妹を”わかる”。
この三姉妹は特別ではなくて、普遍的な人なのだと理解する。
この三姉妹はまったくもって”私たち”ではないかと共感する。
この三姉妹(+弟)は家父長制のもとで抑圧されてきたのですが、今さら老いさらばえた父に復讐を果たしたところで幸福になれるわけではありません。
父は禿げた頭を窓に何度も打ちつけます。
まるで悔恨と懺悔の儀式のようですが、ガラスに血が滴っても過去を変えられるわけではありません。
私たち観客と三姉妹は、どうしたって未来に向かって歩くしかないのだと了解します。
安易な未来志向ではありませんが、三姉妹の苦い決意はチェーホフ作品を想起させる「絶望を経験した人だけの明日への眼差し」でした。
ノワールでも、アクションでも、ラブコメでもなく、今ここにある人間を描いてみせる。
こういう映画も素晴らしいですね。