映画「ぜんぶ、ボクのせい」 スクリーンに映るものは嘘のはずなのに
鑑賞後の映画館ロビー。
そこに貼られていた出演者の公式コメント。
子どもを棄てる母親を演じた松本まりか氏の
それを読んで危うく嗚咽しそうになった。
「口ではごめんねと言いながら身体は子供を拒絶する―――
まだ柔らかいその身体を押し返したあの手の感触は、
堪らなく自分を悪だと思わせました。
酷い母親だと責めるのは簡単だけど
酷い母親への想像力を持つことは難しい。
この負の連鎖を断ち、子にも母にも救いのある社会になりますように。」
演技とは「嘘」をやることでありながら
”手の感触”や”悪だと”思ったことは「本当」である。
一方で実人生は「嘘」が多い。
本当に思っていることは口にしないし
本当ではない言動ばかり強いられる。
実人生とは演技であり、「嘘」だ。
松本まりか氏にとどまらず各出演者のコメントは
実に血が通い、体重の乗ったものばかりだ。
そんな出演者たちの迫力がこの映画に
「本当」を与えている。
だからなのかスクリーンで嘘を観ているのに
オレの心はずっと締めつけられていた。
幸せになってくれ、不幸にならないでくれと強ばりながら願っていた。
松本まりか氏が言うところの「想像力」をどれだけ
持てたかわからないけど、鑑賞中は人物たちを他人事には見られなかった。
劇中の孤独な優太やホームレスの坂本、ウリ女子高生の詩織は社会的には”間違った人”であるにもかかわらず、”まともな人”より本物に思える。
海を見つめ、絵を描き、親を想い、
火を囲み、リッチから金をとり、
互いに本当の会話だけをする。
そんな彼らの方が本物の人間に見える。
オレの人物たちへの安っぽい感傷。
松本まりか氏のコメントに感じ入ったこと。
それをどうすればいいのだろう。
それはどこにいくのだろう。
自然に消えてしまうのか、体に沈殿していくのか。
誰かが不幸になる社会はしょせん「嘘」だ。
そして社会はずっと「嘘」のままかもしれないが、
それでも嘘だ嘘だと言い続ける。
できれば「ぜんぶ、オレのせい」と自己否定しながら、猥褻な人間ではあるがだらしなく生きていきたい。
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