映画「ベイビー・ブローカー」 未来の話をしましょう
こんにちはノブです。
今日は是枝裕和監督最新作「ベイビー・ブローカー」です。
いってみましょう。
■未来の話をしましょう
是枝監督の最新作は、美しく温かい作品だ。
この言葉がまるで作品を讃えていないと感じるほどに、現実の方は残酷になってしまった。「美しくて温かい」になんの力があるのかという空気が世間には漂っている。しかし是枝監督は胸がつぶれる現実を見据えながらも、我々が次に進む道を提示しているように思える。慟哭している人の肩に手を置き、一緒に未来の話をしませんかと語りかけてくる。それが「ベイビー・ブローカー」だ。
■ぺ・ドゥナに託したもの
是枝作品に「空気人形」以来の出演ぺ・ドゥナについて書き留めておきたい。
知的な瞳と心を内に秘めた佇まいのぺ・ドゥナ。監督は、彼女が演じる刑事スジンを赤ん坊と旅するブローカーらと対置させている。「捨てるなら生むな」のセリフからはじまるスジンは、映画の中盤まで一貫してブローカーの観察者であり、追跡者だった。
しかしある雨の一夜、スジンが心を見せる場面が描かれる。ひとり車内、電話で話す相手はおそらく彼女の夫だ。追跡が続いているので何日も家に帰っていない。部下の前では夫に対してサバサバしていたが、今は力の抜けた甘やかな口調で会話している。外で流れている音楽がふたりで観た映画の主題歌だと話をしている。
彼女と夫がどんな会話をしているか詳しくはわからない。子どものいないふたりにどんな過去があったかも映画内では語られていない。ただずっと毅然としていた彼女がここで涙を拭った。この映画、雨の夜には何かが起きる。
ここからスジンが変化していく。追跡者から子どもの未来を担う参加者へと変容していく。対岸からブローカーのいるこちら側へ。保護した赤ん坊を抱き上げたとき、赤ん坊はスジンの手を握った。そのとき一瞬スジンが戸惑った表情をしたように見えたのは気のせいだろうか。
そしてそれから数年後を描写したラストの場面。スジンは夫とウソンが待つ浜辺に向かうため駆けだして行く。ウソンとは赤ん坊の名前だ。そう、スジンが子どもを預かっていたのだ。ズボンの裾が濡れることなど構わずウソンの手を取り海にバシャバシャと入っていく。追跡者として車中でずっと感情を抑えていたぺ・ドゥナが、ウソンの前では弾けるような笑顔を見せた。そこに刑期を終えた生みの母ソヨンに宛てた手紙の声がかぶる。
「待っているから、みんなで子どもの未来の話をしよう」と。
■吉野弘の詩「命は」
是枝監督は2009年の「空気人形」のなかでぺ・ドゥナに吉野弘の「命は」という詩を詠ませている。この詩に是枝監督が心血を注いでいるテーマがすでにあらわれている。
生命は 自分自身だけでは完結できないように つくられているらしい
花も めしべとおしべが揃っているだけでは 不充分で
虫や風が訪れて めしべとおしべを仲立ちする
生命は その中に欠如を抱き それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分 他者の総和 しかし 互いに 欠如を満たすなどとは
知りもせず 知らされもせず ばらまかれている者同士
■「生まれてきてくれてありがとう」を言葉だけにしない
赤ん坊ウソンへの「生れてくれてありがとう」を言葉だけにしないために大人たちは行動した。サンヒョン(ソン・ガンホ)は正しくはないが略奪者を撃退し、ドンス(カン・ドンウォン)は自分が父親になってもいいと決意し、養子を求める夫婦はすべてを知りながらもウソンを可愛がり、母ソヨン(イ・ジウン)は自首して再起を誓った。
うまくやれるかはわからない。わからないけれどやれることはやろうとこの映画は言っている。嘆いているだけではない言行一致は、まるで是枝さんの姿勢にも似ている。関係のセンシティブな韓国や遠いフランスに渡り映画製作に挑んだり、日本映画界の改善のために具体的なアクションを起こしたりしていることが重なる。ただ美しく温かいだけではない。そこに責任のようなものがしっかりある。
上映が終わったあとも、未来の話をしましょうと肩に置かれた手の感触が消えない。