映画「ハケンアニメ!」 繊細さのないこの世の中で
みなさん、こんにちは、ノブです。
たちまち虜になってしまうこの作品には、「ありがとう」と「ごめんね」を伝えたいです。
それでははじめましょう。
■まずありがとう
ありがとうを伝えたいのは、この「ハケンアニメ!」 が製作陣によって愛情深く、そして慎重につくられていることに対してです。
わかりやすくて見やすい作品に仕上げられていますが、説明的とか観客を舐めたようなつくりになっているのではありません。
ものをつくるときの人間の尊さを今風で言えば「解像度高く」表現しています。
天才アニメ監督の王子千晴(中村倫也)がトークショーで衝動を抑えながら述懐します。
「ふつうの人たちなんていない。俺の作品を必要としてくれるなら、オタクのものだって、限定されたファンのものだってかまわない。現実を生き抜く力の一部として俺のアニメを観ることを選んでくれる人がいるなら、俺はその人たちのことが自分の兄弟のように愛おしい」
「リア充どもが、現実に彼女彼氏とのデートとセックスに励んでる横で、俺は一生自分が童貞だったらどうしようと不安で夜も眠れない中、数々のアニメキャラでオナニーして青春を過ごしてきたんだよ。だけど、ベルダンディーや草薙素子を知ってる俺の人生を不幸だなんて誰にも呼ばせない」
そして新人監督の瞳(吉岡里帆)も対抗して言います。
「あなたの作品ではじめて自分が肯定されて、この世界に入った」
「(私の作品は)おもしろそうではなく、おもしろいんです。覇権をとります」
これらは原作にもある言葉ですが、製作陣の心意気や観客への姿勢を示しているようにも思えます。このシーンから、映画を観る自分の心に一気にドライブがかかりました。
鑑賞中、幾度も心がヒクヒクしました。
けれどこの映画は、大声で情熱を訴えたり、感動的な音楽で煽ったりするようなことは抑制されていました。
好きなところは作画スタジオの社長役である六角精児 がセリフを放つところです。
この作画スタジオは、王子監督が心身を削ってコンテを描いた最終話をなんとか実現させたいプロデューサー(尾野真千子 )から必死に頭をさげられて、無理なスケジュールの仕事を引き受けることになりました。
部下のアニメーター・和奈(小野花梨 )が徹夜作業中、リアルじゃない世界も豊かにするために自分たちはプロデューサーたち以上に真剣にならなきゃいけないと強い眼差しで語ったときの六角精児の返しは…
「はいはい」
すべてを受け止め了解した六角精児の返しは、ニヤリとしながらの「はいはい」だけでした。
ものをつくることに心血を注ぐことの幸せな瞬間であり、人間賛歌な場面であります。
監督はこのシーンで、役者と観客を信頼して、選んだ表現は「はいはい」だけ。
鮮やかでした。
この映画の高潔さを象徴しているとも言えます。
エンドロール前のラストシークエンスもしかりです。
吉岡里帆演じる瞳が戦い終えて自室のベランダでひとりたたずむという演出が選択されていました。
なにを語るわけでもなく、表情で説明するでもなく、ベランダの手すりに手をつき体をかがめるだけのショットでしたが、彼女の気持ちが手に取るようにわかる見事なものでした。
自分のアニメがだれかに刺さったのではないかと感じ入っていることを、清潔な演出できちんと観客に届けてくれました。
ということで、特に監督の吉野耕平氏、脚本の政池洋祐氏、原作の辻村深月氏にありがとうを捧げたいです。
■それからごめんね
ごめんねは、この映画を自分が完全に侮っていたことに対してです。
「好きをつらぬけ」「胸熱」「想いと想い」「好きだから頑張れる」
こうしたポスターのコピーに辟易してましたし、役者の決め顔ポーズにも感心しませんでした。
吉岡里帆と中村倫也は客寄せパンダで、安易に感動を煽る作品だろうと不安視してました。
奇しくも劇中でそんなシーンがあります。
監督の期待に応えようと葛藤するアイドル声優(高野麻里佳 )が言います。
「自分が"客寄せ"なことくらいわかってるんです。それなら日本一の"客寄せ"になってやる」
もうごめんなさいです。
吉岡里帆と中村倫也は客寄せなんかじゃなかった。
観客に刺さる作品をつくることに憑りつかれた監督の恍惚と不安を体現していました。
前野朋智や古館寛治といったいい人役の多いバイプレイヤーに、人間らしい「汚し」をかけていたのもお見事でした。
肩に手を置く伏線はまんまとやられました。
気持ちよかった!
■繊細さのないこの世の中で
「この世の中は繊細さのないところだよ。だけど、それでもごくたまに、君を助けてくれたり、わかってくれる人はいる。わかってくれてる気がするものを、観ることもある」
吉岡里帆が少年にかけたこの言葉は、多くの人が生きている理由というかテーマだと思います。
命は大切だけれど、命だけでは生きられない。
だからときに命よりも大切なものがある。
それがアニメであれ、なんであれ、
それをつくって届けること、それを糧にすることは誰にも否定できません。
ありがとう、ごめんね、お見事でした。