映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「マルサの女」 俗が黄昏のなかで美へ反転する


□午前10時の映画祭13『マルサの女』(1987年公開)

マルサの女』ときたらこの音楽ですよね

トゥートゥトゥトゥートゥトゥトゥートゥ♪
トゥトゥトゥトゥートゥトゥトゥール♫

久しぶりに鑑賞したんですがこのメインテーマ
本編中で何十回とかかるんですね

そしてもちろん宮本信子

奇抜な髪型で登場するも
大滝秀治に「板倉くん、寝ぐせ」と
再三注意されるところも楽しい

以下の曲者たちの演技合戦も最高
どうぞ以前ご覧になったのを思い出してください

抑えた芝居で新境地をひらいた #津川雅彦
能書きで架空名義を隠す銀行員 #橋爪功
国税局のジャックニコルソン #大地康雄
脱税に加担するシーツ業者 #佐藤B作
山崎努の片腕でラブホ社長 #室田日出男
ラブホ張り込み中カップルを羨む #桜金造
宮本信子のおっきい部下 #マッハ文朱
ウソ泣きのパチンコ社長 #伊東四朗
「関東蜷川組の蜷川だ」の #芦田伸介
議員介入も飄々とかわす国税課長 #小林桂樹
女は体のどこに鍵を隠すのか #岡田茉莉子

□「伊丹映画」としか言えない

しかしなんと言っても山崎努ですよ

電話でカネの話をしながら情婦をねぶる
左手は受話器、右手はスカートの奥

足が不自由で杖を突いているが
儲けが確定すると上機嫌で
クネクネと奇天烈なダンスダンスダンス

「なにがマルサだ来るなら来やがれ」
ヘアネットみたいのをかぶって怪気炎をあげる

まさに俗の極み
人間の欲への執着を余すところなく体現する

性交描写にしても
「アンアン」なんてかわいいものではなくて
「ウグッウグッ」って感じのビースト

終わると山崎努がシャシャシャシャと
ティッシュを取り女の股間に押し付けて
「おい通帳と印鑑持ってきてくれ」と急かす

男も女もどんなに気取っていても
カネと色の前では平伏す

人間をここまであけすけにしてしまうと
なんだか清々しい気持ちになってくる

このおもしろさは何だと聞かれても
これぞ「伊丹映画」としか語彙がない

□怒れる敗残兵

国税局と脱税者のたたかい

観客にとっての未知の世界を
エンターテイメントに仕立てる手法

これは『「マルサの女」をマルサする』という
メイキングビデオを手掛けた周防正行に伝承される

住職、学生相撲、社交ダンス、痴漢冤罪、舞妓さん
シコふんじゃった』や『Shall we ダンス?

知らない世界を体験するのは映画の楽しさだが
本作では断然マルサより脱税側に心を持っていかれる

山崎努演じる権藤はアンチヒーロー
なぜ彼の脚が不自由なのかは語られない

権藤の無頼な佇まいは演じる山崎努伊丹十三
反映しているのではないかと思ってしまう

宮本信子津川雅彦も素晴らしいが
国税だからどうしたって権力側の役だ

稼いだカネを使って何が悪い
国が何かしてくれたことあるか

そんなアウトロー山崎努の背中に見える
彼の暗闘にたまらなくシンパシーを覚える

夕闇が迫る競輪場の観客席
たたかいは終わった

山崎努宮本信子と言葉を交わし
そして去る

急な段差で不自由な足を
ガックンガックン!と跳ねあげながら
豪快に降りていく

まるで怒れる敗残兵のような後ろ姿を映して
ここで映画は終わる

もちろんけたたましくあの俗な音楽が鳴り渡る
俗の極みが黄昏のなかで美しさへ反転する


#映画 #映画鑑賞 #映画好きな人と繋がりたい #movie #マルサの女 #伊丹十三 #宮本信子 #山崎努 #周防正行 #津川雅彦 #本田俊之 #マルサの女をマルサする #シコふんじゃった #Shallweダンス? #午前10時の映画祭

映画「波紋」 狂うか狂ったふりでもしなければ


□荒ぶる潜在エナジー

これぞいろんな人の感想を
聞いてみたいと思わせる映画でした

観客をそれぞれの思考に導くような
豊かさがありましたね

序盤からこの作品の求心力はすごい

ストーリーは筒井真理子を軸とした単線なのに
彼女に対する理解と不可解でグイグイ引きつける

やっぱり荻上直子監督はタダものじゃない

「ていねいな生活」の作品って
イメージもあるかもしれないけれど
いやいや荒ぶるエグい感情が渦巻いている

前作『川っぺりムコリッタ』も松山ケンイチ
ムロツヨシの楽しい掛け合いに目を奪われますが
明確にタナトス(死の衝動)がみなぎる映画でした

今作も日頃は蓋をしているような
衝動が遺憾なく描かれています

東日本大震災」が通奏低音として流れ
人間の身勝手さや感情の毒々しさが発露します

筒井真理子が演じた更年期世代の内なる潜在エナジー

これまで受け止め続けた理不尽の蓄積
とうとう彼女の心身が静かに絶叫する

自分は男であるけれど光石研磯村勇斗らが
どれだけ筒井真理子を摩耗させてるかはわかった

光石研のいびきと食事の仕方の汚さ
磯村勇斗とその婚約者のコソコソした会話

「お母さんお水ください」が
どれだけ彼女の尊厳を毀損しているか  

おかしな舞を舞う宗教よりも
家族の不文律の方がよほどグロテスクに思える

「切磋琢磨いたしましょう」

そうさ
われわれは狂うか
狂ったふりでもしなければ生きていられない

まっとうな神経のままでは
早晩ぶっ壊れてしまう

枯山水に執着する筒井真理子を観ながら
そう感じたのではボクだけではないでしょう

木野花筒井真理子

木野花筒井真理子の共演は
感慨深かったですね

筒井真理子は1980年代から90年代を席巻した
劇団第三舞台の中心俳優

彼女の劇団のチケット発売初日は
プッシュプッシュの大争奪戦でした

木野花は小劇場ブームにおける女性演出家の先駆者

かつて木野花が若き筒井真理子
演出したこともありました

いわば木野花筒井真理子の師匠格にあたり
彼女らの世代の舞台女優にとって
木野花という人は月影先生みたいな存在でした

そんな2人が競演している姿は
しびれるものがありました

□映画館でしか観たくない

もし世界から映画館がなくなったら
本当に嫌だなぁって思いました

実際にミニシアターは絶滅危惧種ですよね

そうしたらこの荻上直子のような作品も
なくなってしまうと思うんです

なぜなら荻上作品って
本当に映画的としか言いようがなくて
その魅力はストーリーだけじゃないし
画やアングルの美感だけじゃないし
それはまさに映画でしかできないことの総合

奇妙なシーンも多々あるんだけど
映画館のスクリーンに映し出され
自分の周りを暗闇で囲まれた状況であるならば
これはじゅうぶんに対峙する価値あるものとなる

荻上直子と自分がスクリーンを挟んで
一対一で対話する

それは四方を暗闇に覆われスマホを切り
日常よりも自分というものが浮かび上がっている
映画館というメディアでしか成立しない

テレビや配信では対話にならない

映画の一番の醍醐味である「沈黙」と「抽象性」が
バイスではことごとく「わからない」になる

みなさんも傑作映画を観た後で経験してますよね

配信でご覧になった方のレビューが
「面白いところもあったけれどいまいちだった」
というのを読んでさびしい気持ちになったこと

映画館がなくなってしまうと
「映画的な映画」がつくられなくなってしまう

喪服から真っ赤な裾をのぞかせながら
クラップ音を響かせ躍動する筒井真理子

この名状しがたいシーン
名前のつけようのない感情

こんな素晴らしいシーンは本当に映画館でしか
観たくないと思ってスクリーンを見ていました


#映画 #映画鑑賞 #映画好きな人と繋がりたい #movie #波紋 #荻上直子 #筒井真理子 #光石研 #磯村勇斗 #ムロツヨシ #川っぺりムコリッタ #木野花 #第三舞台 #平岩紙 #江口のりこ #柄本明 #キムラ緑子

映画「ガーディアンズオブギャラクシーVOLUME3」最先端の多様性は最高な音楽とともに

□変な映画!

変な映画だなぁと思う

なんだってオレはこんな大画面で
アライグマとカモノハシのラブシーンを
真剣に観てるんだろう

ジェームズガンさん
あんた変だよ
おもしろいけど

□共同の描き方

「一致団結」って言葉がすごく苦手なんです

時としてみんなで力を合わせようと
それはいいんです

だから「団結」はまぁ大丈夫です

気持ちが悪いのは「一致」ってやつです

それぞれ違う人間を一致させるって…
一致できると思っている
その暴力的な見識が怖い

心がざわざわするんです

「一致団結がんばりましょう」
なんて声を張りあげてる人がいると
この人間社会から逃げ出したくなる

本作はそのあたりがとても上手ですね
それはアメリカの性質なんでしょうか
ガンさんの特質なんでしょうか
力を合わせて戦っていくけど
個性はそのまま

同一の精神性とか
同一の所作とかを強要されない

横一列で出動するかっこいいシーンでも
欠伸してる奴もいるし
チ〇ポジ直してるやつもいる

みんなが喜びで抱き合っているときも
その温度感はそれぞれだし
輪の中に加わらない者もいる

そういうありのままで
共同していく描き方が
本当にたまらなくうれしい


□あんた本当に変わってんなぁ

映画の中で
いろんな造形の人物が
すごいこだわりの意匠で登場しますが
画一的ではなくて
「ありのまま」を本気で追及してますね

人間だけじゃなくていろんな動物や
モンスターみたいのまでガーディアンズ
保護するところはさすが
人種のサラダボウル総本山
って感じがします

一方でバカバカ撃ちまくるところも
実にアメリカンなご都合主義だなぁって
ユーたちいつまでそんな愚かなこと
やってんだよとうんざりします

まったく…変な映画です

それでも
最後はわれわれ観客も
グルードの言葉を理解できるようになったり
ミドリちゃんとのさわやかな別れに立ち会ったり
粋な映画だと思いながら
アライグマの流すナンバーで
サメザメと心が泣くのです

だからガンさん
カウンターアースの子どもの顔面に
ボールぶっけるとか珍妙なギャグいらねぇから

あんた本当に変わってんなぁ


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映画「最後まで行く」 スクリーンのもう少し先の方


□公開初日に観るということ

映画公開の初日に鑑賞する
ということは自分がその作品に
大きな期待を寄せているということです

いや期待という以上に
「思い入れ」を抱いていて
その監督作品はどうしても
見届けたいと思っているのです

藤井道人

彼は私のそんな思い入れを背負わされて
いい迷惑だろうなとは思います

そこのところは
会ったこともない藤井監督に謝ります

ただやはり藤井監督の映画版ならびに 
ドラマ版の『新聞記者』を思い出すと穏やかな
気持ちで藤井作品に向き合うことはできません

かの作品のことを考えると今度の作品は
人間や社会の可能性(あるいは不可能性)を
どう描くのだろうと心が沸き立つのです



□流れ弾『余命10年』

多くの人に愛された『余命10年』

ですが私は観ているときも観た後も
ひとりブツブツと愚痴ばかり言っているような
心の中でした

もし『余命10年』を他の方が監督していれば
よかったよかったと満足していたかもしれません

だからそれは藤井監督にとって
気の毒なことかもしれませんが
すっかり藤井監督に囚われている
私だって気の毒ですよ(逆ギレ)

最新作『最後まで行く』は
多くの方が讃えているとおりで
日本映画の高い水準にあります

ノワールの面白さ
遜色ないリメイク
俳優部の凄み

最後まで惹きつけられ
まさに劇場鑑賞すべき作品で
高い評価にもまったく首肯します

□囚われの私

ただ囚われの私は
ちょっと変になってます 

だから観終わった後に
こんなことを思うのです

「そうか、すごいおもしろいだけか」

映画がおもしろくて何が悪い
そう自分に問いかけてくる声がします 

もう藤井監督を自由にしてやれよ
そう自分を詰る声も聞こえます

公開初日に観に行くような監督
それは自分にとって大事な監督です

おもしろい映画だけを求めているなら
評価が出そろってから行った方が効率はいい

大事な監督というのは私の中でいわゆる
「おもしろいおもしろくない」とは
違う座標で輝いています

私は藤井作品をスクリーンで鑑賞していますが
実はスクリーンのもう少し先の方を
見ているような気がします

監督自身の
世界との向き合い方とでもいうべきものを

藤井監督が独自の座標において
本作で輝いているのか

誰にとってもそういう観点でとらえている
監督がきっと何人かいるのではないでしょうか

さぁ6月2日は『怪物』の初日です

 


#映画好きな人と繋がりたい #映画館が好きな人と繋がりたい #映画 #最後まで行く #岡田准一 #綾野剛 #藤井道人 #磯村勇斗 #余命10年 #怪物

 

映画「ジュリア(S)」 音楽は響き渡る


□それぞれのジュリアたち

ジュリア
彼女はピアニストを志す少女だった

1989年ベルリンの壁崩壊を
見に出かけたジュリアと
パスポートを忘れたジュリア

彼との二人乗りのバイク
ジュリアが運転した人生と
ジュリアが後部座席だった人生

あの時の選択であらゆる出会いは変わり
運命はまったく違ったものになる

しかし

たとえどんな人生を生きても
幸せと不幸せはやってくるのだと
この映画は教えてくれる

夫と子どもに囲まれていたジュリアにも
思いがけない転落が待っている

ピアニストをあきらめた孤独なジュリアにも
指導者としての喜びの時間が訪れる

楽家のジュリア
家庭を持ったジュリア
孤独なジュリア
ドイツのジュリア

ジュリアのいくつかの人生
「ジュリアズ」



□おそれることはない

もしあの日違う選択をしていたら…
おそれることはない
どの人生も私が主人公だ

禍福の川を渡りきることについては
どの私であっても同じなのだ

そして

どのジュリアにも音楽があった
音楽の彼女への寄り添い方はそれぞれだった
でも音楽はジュリアの根幹をなしていた

ジュリアたちは
音楽に苦しめられ
音楽に励まされ
音楽とともに歩いた

□一本の木

スクリーンに一本の大きな木が映る

太くがっしりした幹があり
そこから立派な枝が複数伸びていて
さらに無数の枝に分かれていく

これが私たちだ

私はいま細い枝の先端に生きている
紆余曲折を経てなぜかこの枝にたどり着いた

違う枝を生きる可能性もあったろう
あちらの枝の方が愉快だったかもしれない

でも大丈夫
絶対に大丈夫だ

どこにたどり着いても幹は動かない
どの人生に大切なものは必ず宿る

この作品は特別な讃歌だ

すべてのジュリアたちと
すべての映画ファンに
祝福の音楽が響き渡る


#映画好きな人と繋がりたい #映画館が好きな人と繋がりたい #映画 #ジュリアs #ジュリアズ #オリバートレイナー #ルードゥラージュ #クロックワークス #julias#ジュリアズ

映画「劇場版 推しが武道館いってくれたら死んでもいい」 長澤まさみだってキムタクだって

□『劇場版 推しが武道館いってくれたら死んでもいい』

危険を顧みない勇敢な観客だけに
奇跡のような映画体験は与えられる

セレンディピティ
幸運を引き寄せる能力があると誰もが思いたい

『劇場版推しが武道館いってくれたら死んでもいい』

魅力的なタイトルである
内容は全く知らない
どうやら漫画原作であるらしい



何にでもいいところは
必ずあるはずだ

それを見出せないのは
対象よりも自分の方に欠陥がある

いいところ…
いいところ…

私は寛大な映画ファンでありたい

「こんなの映画じゃねぇ」

そんな排外的なことだけは
考えたくないと思ってこれまで生きてきました

たかが映画だ
ただ自分の好みと合わないだけだ

それなのになぜ客席にいる私はさっきから
不寛容で攻撃的な人格に豹変しているのだ

彼らは映画をつくった
なんの罪も犯していない

私は汚物にまみれた肌着を
隣家に投げ入れたことがある
酔って自転車を盗難して警察にも捕まった
親の財布から金を盗って
1万円すべてガチャポンをやった
原発や移民といった問題に
積極的に発言し行動することから逃げている

これらは間違いなく罪だ

『 推し武道』>私

スクリーンでは先ほどから人物の気持ちが
ほぼすべてナレーションで語られている

まるで超能力者になった気分だ
他人の心の声がすべて聞こえる

他人の心の声が聞こえないからこそ
私たちは日々葛藤しながら生きているのだ

そもそも自分の気持ちさえうまく言語化
できないから日々苦労しているのではないのか

いいところ…
いいところはどこなんだ

□そういうジャンル

人物の気持ちが
ナレーションで語られる

俳優は「今ここに存在している」のではなく
説明的に演技することが優先される

化粧したまま夜行バスで一晩過ごすなどなど
実在感のある設定がなされていない

表現全般に抽象性がなく
すべては説明可能なもので構成されている

ストーリーが単線で
人物たちを取り巻く社会は描かれないので
物語世界に奥行きを感じない

以上が自分がつらく感じる点だ

これは悪い点というよりも
「そういうジャンル」なのだ

わたしは当該ジャンルの「推し」ではない
ということなのだと思う

推しの方は世界の彼方まで推しまくってほしい

□楽しい映画館に死屍累々

人間は複雑で理不尽で生理的だ

そんな人間をアニメや漫画に
変換するという表現がある

瞳は大きくなり
発声ははっきりし
シワやニキビは描かれない

戯画的なキャラクターたちが
躍動する2次元の世界

それはときに作品世界の
主題や教訓に集中できたり
超現実を受け入れられたりと
生身の人間の演技以上の
効果を発揮することがある

一方で漫画のキャラクターを実写化するとは
どういうことなのだろうか

単純されたキャラクターを
複雑であるはずの生身の人間が演じる

2次元から3次元への変換にはなにが必須なのか

人間はそんなしゃべり方はしない
人間はそんな単純な感情じゃない

なにより世界はそんなにチョロくない

そんな違和感を観客に抱かせないように
製作者たちは漫画原作の実写化に挑んでいる

『タッチ』『SPACE BATTLESHIP ヤマト』…

楽しいはずの映画館の片隅には
「実写映画」が死屍累々と積み重なっている

本作の大谷健太郎監督は
見事『NANA』を撮っている
NANAなのだ
NANAなのに

ななななー
ななななー
実写化 アンミカ

あなたも手を合わせたことがあるだろうか
「実写映画」の亡骸に


#映画好きな人と繋がりたい #映画館が好きな人と繋がりたい #映画
#劇場版推しが武道館いってくれたら死ぬ

映画「聖地には蜘蛛が巣を張る」 自分の欲望を制御さえできない


□女たちのヒジャブ

イランの女性たちが顔や身体を覆うヒジャブ

事件を追う女性ジャーナリストのラヒミ
彼女は赤いヒジャブをゆるく巻いて登場した

ホテルのフロントマンから
髪が見えていると指摘されても
余計なお世話だと一蹴した

警察や聖職者を訪問するときは
黒々とした厚手のヒジャブをまとう

個性も衝動も持たない
名も無きひとりの女性に埋没する

部屋に戻りヒジャブを脱ぐ
ウェーブのかかった髪
デニムがよく似合う
知的で美しい女性が姿をあらわす

娼婦は花柄のスカーフをかぶる
金髪に染めた髪を
堂々と見せている女性もいる

娼婦を16人殺害し
英雄に祀りあげられたサイード
その妻は目鼻がかろうじて見えるヒジャブ
自分を封印している

□男たちのヒジャブ

男たちはヒジャブで女性の
“不浄”を覆い隠そうとする

しかしわかっているのだ
自分の欲望を制御さえできないことを

そんな自身のあさましさを
女性に押しつけている

殺された女性はみな大きな布でくるまれ
闇の中に葬られた

聖地の日没後の闇は
人間の暗渠のように深い


□自在なカメラワーク

アリ・アッバシ監督の自在なカメラワーク
それはなにをとらえようとしているのか

聖地マシュハドの不気味さ
靴を履き替える女性の足元
善き隣人で善き殺人者のしている指輪
絶命する人間の大きく見開いた瞳
性交中に見える死んだ女の足の裏
留置所の窓から伸びる腕

この娼婦16人殺害事件は
イスラム教国ゆえの出来事と思えない

性差別も
セックスワーカーへの偏見も
権力の腐敗も
私のよく知る国でも存在している

いつも存在意義に怯えてたサイード
逮捕されてから堂々とした男になる

殺人事件に怯えていた国民が
浄化だ英雄だと盛りあがる

あどけなかったサイードの長男が
狂信的な瞳に豹変する。

そのことに戦慄する


#聖地には蜘蛛が巣を張る #プアリアッバシ #カンヌ国際映画祭 #ボーダー #二つの世界 #ザーラアミールエブラヒミ #イラン #アカデミー賞デンマーク代表 #映画好きな人と繋がりたい #映画館が好きな人と繋がりたい #映画