映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「波紋」 狂うか狂ったふりでもしなければ


□荒ぶる潜在エナジー

これぞいろんな人の感想を
聞いてみたいと思わせる映画でした

観客をそれぞれの思考に導くような
豊かさがありましたね

序盤からこの作品の求心力はすごい

ストーリーは筒井真理子を軸とした単線なのに
彼女に対する理解と不可解でグイグイ引きつける

やっぱり荻上直子監督はタダものじゃない

「ていねいな生活」の作品って
イメージもあるかもしれないけれど
いやいや荒ぶるエグい感情が渦巻いている

前作『川っぺりムコリッタ』も松山ケンイチ
ムロツヨシの楽しい掛け合いに目を奪われますが
明確にタナトス(死の衝動)がみなぎる映画でした

今作も日頃は蓋をしているような
衝動が遺憾なく描かれています

東日本大震災」が通奏低音として流れ
人間の身勝手さや感情の毒々しさが発露します

筒井真理子が演じた更年期世代の内なる潜在エナジー

これまで受け止め続けた理不尽の蓄積
とうとう彼女の心身が静かに絶叫する

自分は男であるけれど光石研磯村勇斗らが
どれだけ筒井真理子を摩耗させてるかはわかった

光石研のいびきと食事の仕方の汚さ
磯村勇斗とその婚約者のコソコソした会話

「お母さんお水ください」が
どれだけ彼女の尊厳を毀損しているか  

おかしな舞を舞う宗教よりも
家族の不文律の方がよほどグロテスクに思える

「切磋琢磨いたしましょう」

そうさ
われわれは狂うか
狂ったふりでもしなければ生きていられない

まっとうな神経のままでは
早晩ぶっ壊れてしまう

枯山水に執着する筒井真理子を観ながら
そう感じたのではボクだけではないでしょう

木野花筒井真理子

木野花筒井真理子の共演は
感慨深かったですね

筒井真理子は1980年代から90年代を席巻した
劇団第三舞台の中心俳優

彼女の劇団のチケット発売初日は
プッシュプッシュの大争奪戦でした

木野花は小劇場ブームにおける女性演出家の先駆者

かつて木野花が若き筒井真理子
演出したこともありました

いわば木野花筒井真理子の師匠格にあたり
彼女らの世代の舞台女優にとって
木野花という人は月影先生みたいな存在でした

そんな2人が競演している姿は
しびれるものがありました

□映画館でしか観たくない

もし世界から映画館がなくなったら
本当に嫌だなぁって思いました

実際にミニシアターは絶滅危惧種ですよね

そうしたらこの荻上直子のような作品も
なくなってしまうと思うんです

なぜなら荻上作品って
本当に映画的としか言いようがなくて
その魅力はストーリーだけじゃないし
画やアングルの美感だけじゃないし
それはまさに映画でしかできないことの総合

奇妙なシーンも多々あるんだけど
映画館のスクリーンに映し出され
自分の周りを暗闇で囲まれた状況であるならば
これはじゅうぶんに対峙する価値あるものとなる

荻上直子と自分がスクリーンを挟んで
一対一で対話する

それは四方を暗闇に覆われスマホを切り
日常よりも自分というものが浮かび上がっている
映画館というメディアでしか成立しない

テレビや配信では対話にならない

映画の一番の醍醐味である「沈黙」と「抽象性」が
バイスではことごとく「わからない」になる

みなさんも傑作映画を観た後で経験してますよね

配信でご覧になった方のレビューが
「面白いところもあったけれどいまいちだった」
というのを読んでさびしい気持ちになったこと

映画館がなくなってしまうと
「映画的な映画」がつくられなくなってしまう

喪服から真っ赤な裾をのぞかせながら
クラップ音を響かせ躍動する筒井真理子

この名状しがたいシーン
名前のつけようのない感情

こんな素晴らしいシーンは本当に映画館でしか
観たくないと思ってスクリーンを見ていました


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