映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」 さあ傷つこうか


□ずっと苦しかった

上映後に金子監督の話が聞けるのを楽しみに席に着いた。

しかし、この映画を見ている間ずっと苦しかった。

上映時間の大半で例えばウクライナとかウィシュマさんのことを考えていた。

□加害性は誰にでもある

オレ「ウクライナ?ウィシュマさん?」

自分「いやまあ、それはおかしいってのはわかってるんだ」

オレ「これは社会が優しくなることを願っている映画だぞ」

自分「ウクライナや難民にはどう優しくできるんだろう」

オレ「粒度が合わないだろ」

自分「粒度?」

オレ「この映画で語られているのは人が傷つくということだよ」

自分「ウクライナの人も傷ついている」

オレ「おまえそれならまずウクライナに寄付でもしたか?」

自分「『加害性は誰にでもある』っていうテーマだよね」

オレ「ああ」

自分「自分にとって加害性ってそうなんだよ。友だちを傷つけるっていうのもだけど、戦争や不幸に対して何も出来ずに自分だけ安全地帯にいるっていうのが加害性なんだ」

オレ「そんなこと言い出したら、もはや『原罪』じゃねえか」

自分「そうだよ、息をするだけで罪なんだよ」

オレ「ムリだ、そういうことは社会主義になっても解決しねぇよ」

自分「ぬいぐるみとしゃべるでいいのかな」

オレ「今できることをやるしかないだろ、やれないことはやれない」

自分「ウクライナには報えないよ」

オレ「そういうのやめた方がいいぞ。そういうこと言いたいなら自分だけ銃を担いで戦場行け。自分ができないなら映画の人物に背負わすな」

自分「彼らも他者の幸福を願っているよ」

オレ「自分も変わらねえからな。今お前はぬいぐるみじゃなく、PCにしゃべってるんだよ。自分のクソな悩みを。クソだけれど、それしかできなし、そこからはじめるしかないだろ」

自分「監督って立命館大学だよね、映画での大学も立命館がモデルかな」

オレ「だから?」

自分「『二十歳の原点』」

オレ「はっ?」

自分「『二十歳の原点』の高野悦子立命館大学だったよね」

オレ「やめろ」

自分「『独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点』」

オレ「だから『ぬいサー』も学生運動やれってか?それで無力と絶望を味わって自殺しろって言いたいの?」

自分「…そんなこと言わないけど」

オレ「いや、そう言ってるんだよ、お前は。他人のことはいいから自分のことに集中しろ。お前が運動やりたいならやれ、自殺したいならしろ。他人に強要すると連合赤軍みたいになるぞ」

自分「確かにそうだね」

オレ「もういいか、新谷ゆづみがすごくいい芝居してるから映画に集中しろよ」

自分「ああ」



新自由主義への革命

オレ「おい、ちゃんと観てるか?」

自分「監督がこの映画を『新自由主義への革命』って言ってたよ」

オレ「まだ言う?」

自分「社会って実は正しくしない方がいいのかな」

オレ「は?」

自分「正しくしようとすればするほど社会はもっとおかしくなる。正しくしようとすればするほど人は苦しくなる。」

オレ「極端、極端」

自分「見て見ぬふりしてないと自殺するしか選択肢がなくなる」

オレ「お前さ、そうやって思考が行き詰ったらどうしてんの」

自分「どうしてんのかな」

オレ「清濁併せ呑むんだよ。実際お前はそれがある程度できてるから、こうやって図々しく生きてんじゃん」

自分「最低だな」

オレ「何を今さら」

自分「うん」

オレ「お前自慰してんだろ」

自分「…」

オレ「責めてないよ。それでいいんだよ。バカが考えても仕方がないし、世の中を変えられないやつが憂いても意味がない」

自分「…」

オレ「それより道端のゴミでも拾え」

自分「選挙行くとか?」

オレ「政治を信じてないくせに投票する。そういうことが大事なんだよ」

自分「はぁ」

オレ「お前は中学から一歩も賢くなれてないよ、これからもなれないよ」

自分「自分の弱さだけは平気で肯定するなんていいのかな」

オレ「肯定なんてしちゃだめだ。弱さは事実だ。お前はウクライナにも行けないし、ぬいぐるみともしゃべれない。お前は意外とズルいんだ。結構清濁イケちゃってるんだよ。お前は本当は映画なんか見なくても生きていける俗物なんだよ。観るならもっと黙って真剣に耳を傾けろ。いいか、絶対しゃべるな。自分は消せ。まず聴け。とにかく聴け。映画館はお前のしゃべるところじゃないんだ」

優しさは確かに弱さであり、無関心だ。

自分の優しさ(あるいは弱さ、無関心)に気づいた者は平然とは生きられない。

たとえば立命館でかつての若者は「資本論」を手に持って傷ついた。

今はぬいぐるみを手に持って傷つく。

傷つこう。
もっと傷つこう。
それぞれが耐えられる程度での範囲で大いに。

きっと金子監督もそうしながら映画を完成させたと思うから。傷だらけの映画を観たような気がして、監督に質問なんかとてもできなかった。


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