映画「LOVE LIFE」 オレを幸福にもせず、賢くもしないけれど
「人間とはなにか」が知りたくて映画を観る。
知ったからと言って幸福に生きられるようになるわけではない。
それなのになおも知りたいのだ。
この得体のしれない自分というものがなんなのか。
人間というものが、不気味で不安で仕方がないから、どうしても具体的に知りたいのだ。
愚かにも元夫を支えようと船に飛び乗る女。
狡くも泣いた女に口づけして実は自分を慰撫する男。
哀しくも息子の死んだバスタブに身を浸す女、
息子の死に泣けない男。
人間は愚かで、狡く、哀しい。
人間を精緻に画面に収めるということ。
過不足なく哀しさや愚かさを捉えること。
実はそれは誰にでもできることではない。
まるで精緻なスケッチだが、描ける人は少ない。
この映画には救いも要らない、癒しも要らない、結論も要らない。
精緻に人間を捉えていれば、それはすでに意義深い。
われら観客は主人公の妙子(木村文乃)とこの世界に身をゆだねるだけである。
哀しく異国の地で雨に打たれ、愚かに韓国歌謡に体を揺すり、狡くも夫のもとへ戻るのである。
人間として、いいか、わるいか?
そんなものはない。
ただそう生きたことだけが事実なのだ。
人間はそういうものだということは描かれている。
オレはその事実に感じ入り、傷つき、呆然とするのである。
「人間とは何か」を思い知るという目的は達した。
それはオレを幸福にもせず、賢くもしないけれど。
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そして完璧なラストシークエンス。
この2時間心を鷲掴みにされた作品の秘密を見た気がする。
ロングショットでベランダ越しにマンションの中の様子をとらえる。
夫婦が出かけていく様子が見える。
そのままカメラは長廻しを続ける。
無人のマンションの一室。
そこで猫が完璧なタイミングで横切る。
そんなバカな。
さらにカメラは長廻しのまま外の風景を捉える。
ゆっくりとパンしていく。
まさか。
先ほど出て行った夫婦が眼下にフレームインしてくる。
完璧なタイミングで設計されている。
哀しい夫婦が、頼りないほどの小ささで、人はどこまで行ってもひとりだよというふたりの距離感で、あてなく歩いていく姿を捉え続ける。
人間をそのまま描いているようで恐ろしいほどの精緻が全編に施されていたと思い知る。
深田晃司監督に震える。
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