映画「彼女のいない部屋」 寄り添うことが、ただただ美しい
映画はこういうことさえできるのかと思い知る。
主人公クラリスが見たもの、聴いたものは、本来ならば彼女以外は誰も共有できないはずのものだ。
それはクラリスの主観であり、極めてパーナルな思念だからだ。
しかしこの映画はそれを具現化した。
絶対不可能と言ってもいいはずなのに、「クラリスだけの世界」を観客に共有体験させてしまった。
クラリスが聞いたピアノの音を同じように聞き、クラリスが見た家族を同じように見た。
さらには未来までも見ることができたし、夫と対話することさえできた。
観客はクラリスと同一化した。
だから、
だから我ら観客は悼むことができたのだ。
本当ならば他者はわかりようもないはずなのに、ありありと悼むことができた。
なんという映画。
喪失によって生じた空白区に出現した彼女の思念。その映像化。
物語を編むとか、想像の未来を描くとか、社会の実相を撮るとか、いろいろな映画があるが、これはなんと名状すればいい。
狂気を通じて、愛をなぞり、ともに悼む映画。
先ほどクラリスだけの世界を理解することは「絶対不可能」と書いたが、映画に登場する周囲の人々はクラリスを想像していた。
クラリスの内面を理解することはできずとも、彼女のしたいようにさせてあげていた。
それは人々がクラリスを想像して、どうすることがいいのかと考えたからだ。
そこには他者でありながらクラリスを想像するエンパシーがあった。
クラリスが隣の男を抱きしめたければ抱きしめさせればいい。
クラリスが鍵盤ハーモニカを弾きたければ弾かせればいい。
クラリスがコーヒー2杯ココア2杯というならそれを出してやればいい。
クラリスが話したいなら静かに聴いていればいい。
この映画を2回鑑賞した。
私もクラリスを想像する立場になるなら2回目こそがいい。
そして思った。
ただ寄り添うことが、ただただ美しいと。
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