映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「さかなのこ」 のんはかみのこさかなのこ

のんは男でも女でもない、男でもあり女でもある。

のんは愚者でも賢者でもない、愚者であり賢者でもある。

この作品を観ていると自分の世界観がのんによってガラガラと壊される。

のんが学ランを着て堂々と男子を演じているのはどう考えてもおかしいはずなのだ。

ヤンキーたちが次々とのんにひれ伏して協力者になるなどあり得ないのだ。

ペンキが都合よく鼻の頭につくなんてあるはずないのだ。

しかしそんなことを思っているオレの方がおかしいのではないかと不安になってくる。

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気づけば映画世界の中心はのんを基軸に回りだしているし、映画館はのんに支配されている。

「学ラン着てますけど何か」という感じ。「ああ、あなたはなんにもわかってないんですね、おかわいそうに」みたいな気分。

いやいやいやいや、いやいやいや!

おかしいだろ。のんが学ラン着てんだぞ。まわりの人物もそれを指摘しないんだぞ。それどころか一緒に釣りして笑ってんだぞ。みんなでのんを幸せそうに見守ってるなんて、狂ってんだろこの世界!

まったくどういうことだよ。。

のんは男でも女でもないのか。そういう存在なのか。神の子かよ、まさか。

確かにこんな規格外の存在は、芸能界にとって恐怖だったんだろな。だから追い出したんだろな。ジャンヌダルクを火刑にしたように。と、そんなことを考える。

どうしてだろう。悲しくも切なくもないシーンなのに、のんが楽しそうにしているだけで涙がにじんできそうになる。

好きなように生きたかったけれど、それが叶わず自分を殺して生きた多くの観客の心を代弁する。そういう力をのんは持っているということか。

時代や表現の変革者というのは彼女のような人間が担うのだろう。

一抹の不安もある。時代の変革者はとかく悲劇と相性がいい。

のんはどうか自由な海を泳いでいてほしい。心ない釣り人によって息苦しい陸地に引き揚げられてしまったりしないことを望む。もっと観客を広い海に連れ出してくれ。

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