映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画/ドラマ「シコふんじゃった」 気持ち悪い映画


□モッくんに匹敵する美しい所作

1996年に周防正行監督は
Shall we ダンス?』で日本映画界を席巻した

そのひとつ前の作品が『シコふんじゃった

楽しいコメディだけれど
周防監督の知的さがにじむ作風であり
そして幾何学的な構図も印象的だ

ボクはこの作品が大好きで
でもなにか秘められた意図があるようで
どこか「気持ち悪い映画」とも思っていた

2022年にディズニープラスで
新しい『シコふんじゃった』が配信となった

モッくんのまわし姿以上に美しいものはないと
この新版を鑑賞することは敬遠していた

でも伊原六花の四股に見惚れた

中空にまっすぐ伸びる脚
それがゆっくり折りたたまれ土俵に降りてくる

穴山教授役の柄本明のナレーションを思い出す
「相撲はバランスの奇跡」(ジャン・コクトー

教立大学で唯一の相撲部員という役どころの
伊原六花はバブリーダンスの登美丘高校出身

相撲以外は不器用という人物をその大きな瞳で
演じ切っている

バブリーと女子相撲のあまりのギャップ!



□あくまで理知的なコメディ

ディズニープラスの配信版はとにかく楽しい
そして映画版と同じものが底流に流れる

ここでは映画版に心囚われたことを
中心に振り返りたい

この作品はスポ根ドラマではなくて
醒めて理知的なストーリーテリングで展開する

単位目的という不純な動機で相撲をはじめる男

彼は超人的な能力が開花するわけでもないし
優れた指導者にしごかれるわけでもない

ただいつもラクして生きてきた人物が
真摯な他者を目の当たりにして
「せめて繋ぎたい」という欲求が生じる

そのときはじめて心底強くなりたいと思う
ここにたまらなく普遍的な説得力がある

そして薄暗い相撲部の稽古場の
明り取りのような窓から光が差し込む

ひ弱で俗物だった相撲部員たちが照らされ
神々しく映える瞬間がつくりだされる

流れる楽曲は穏やかで牧歌的なもの

「♪かな~しくて かなしくて~」
「♪りんご~の木の~したで~」

周防監督はあくまで批評的に物語を編む

□この映画に囚われている

シコふんじゃった』は表層的な
理解だけでは何も見たことにならない気がする

人物たちの語る言葉と感情には乖離がある

小津のオマージュのような美しい
カットバックでのセリフのやり取りがある

精緻な構図で大映しにされた人物は
言葉を発する前に一呼吸の間がある

そのとき彼らは本当はなにを思っていたのか

カットバックからセリフまでのしばしの間は
大事な言葉を飲み込んだ間ではないのか

この映画は目を凝らして見ていると
よく誰かが誰かを見つめていることに気づく

その過程で秘めた思いを膨らませたり
自らの手でその思いを殺したりしている

幾何学的な構図のなかで
人物たちが孕み堕胎したエロスがある

これが周防正行の凄みであり
気持ちの悪さだ

それは『Shall we ダンス?』でもあらわれている
役所広司は肉体的な過ちは犯さないが
彼の情欲は明らかにダンス教師の草刈民代を汚し
妻である原日出子を裏切っている

周防作品は竹中直人の愉快な演技に
笑ってばかりいるとなにも気づけない

小津安二郎が一見清楚に見える原節子の役に
実は業の深い罠を仕掛けているように
周防監督も軽妙な喜劇とみせかけて
登場人物たちに欲望の胎盤を抱かせている

ラストシーン

モッくんや葉山奨之ラクして生きるのをやめたとき
そこにはさわやかな物語の頂点がある

同時に清水美沙や伊原六花が四股を踏んだとき
そこには確かな業の発露がある

「私もとうとうシコふんじゃった

このセリフをどう理解しようか
ボクはこの映画に楽しく囚われている

 


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映画「ぼくたちの哲学教室」 ボクたちはよく「考える」と言うけれど


□「平和の壁」の国

今朝もスキンヘッドの校長が
エルヴィスを口ずさんで登校してくる

ここは北アイルランドの小学校

この国は福島県と同じくらいの
国土面積と人口(約188万人)を有する

カトリックプロテスタントの対立
イギリスとの連合と独立をめぐる衝突

これらの問題で国内紛争が長期化し
多くの命が失われてきた国だ

今も禍根は残っている
両派を分断するための「平和の壁」がある

壁には銃を構えた兵士が描かれている

登校する子どもたちを
この皮肉な名前の壁は見下ろしている

□対話とは他者を待てること

校長自らが受け持つ哲学の授業
これは「対話」と「思索」を深めるものだ

たとえばこんな命題を投げかける
「怒りがわいたら相手を攻撃していいのか」

生徒たちはそれに対して考える
そして言葉にして自分の意見を表明する

教師も生徒もその発言を遮ることはしない
次の生徒が「ボクは違う意見で…」と話し始める

まとめ役の生徒は「さまざまな意見が出た」と
ふりかえりをするが結論を出すわけではない

議論を見守るオブザーバー役の生徒も選ばれる
「賛否両方の意見が出たことはよかった」と評する

もちろん校長も議論の結論を出すことはしない
みなで素晴らしい議論ができたことを讃え合う

この街では今も迷彩服を着た団体が
自らの党派に勧誘しようと練り歩いている

相手の存在を受け入れることができなければ
すぐにでも内戦を始められるのがこの国なのだ



□衝動から自分を取り戻す

喧嘩したり暴力をふるった生徒は
ホワイトボードの前に呼び出される

ここでも思索する

なぜ相手を殴ったのか
そのとき自分はどう思ったか
それは本当に正しいことだったのか
いまから取るべき行動はなにが適切か

ボクたちはよく「考える」というけれど
それはどうすることを指すのだろうか

考えるというのは言葉を使わないとできない
AだからBで...BならばCだし…それならば…

もし脳内で言葉を使わない動きをするならば
それは「感情」であり「衝動」だ

言葉という小さなブロックを積み重ねて
自分自身や自分の行為を振り返る
そして本来の自分を言葉で規定する

怒りや欲望はうねりのように押し寄せて
自分を意思の力が通じないところへ運んでしまう

もしそんなとき自分が自分でいられるとしたら
単語をひとつひとつならべ言葉を紡ぎ
自分と対話していくしかない

 オレは本当は何がしたい
 そのとき相手はどう思う
 社会にどんな影響をあたえる
 ほかに考えられる選択肢はないのか

それが「考える」ということだ

衝動という感情はあまりに強い
他者は決定的に自分とは違う

だから「思索」と「対話」
それしかないんだ


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映画「同じ下着を着るふたりの女」 愛を嗤う母


□卓越した人間観

髪を赤く染め娘に手をあげる母

それを毒親としてしまえばわかりやすいかもしれない

おそらくキム・セイン監督の分身的な存在は
娘の方であったに違いない

しかし監督はこの母娘の善悪について
絶妙な均衡で描き続けた

だから観客は母娘どちらの気持ちも
おもんぱかる時間が終始つづくことになった

ここにキム・セイン監督の
卓越した人間観のようなものを感じる



□舞台挨拶:文化圏の違い 

長編デビュー作にして痛烈な作品を紡いだ監督が
福岡KBCシネマで1時間の舞台挨拶をおこなった

スラリとした彼女はカジュアルな服装
自分を大きく見せようといった素振りはない
優しい口調で作品について語ってくれた

・どんな観客をイメージしていたか

 一番の観客像は自分自身だったかもしれない
 この作品の感情的な部分は自分が投影されている

・映画祭などでの反応はどうか

 韓国では娘のイジョンに感情移入した
 という感想を聞いた

 東京では母のスギョンに感情移入した
 という感想も聞いた

 一方でヨーロッパでは
 こんな人たちがいるわけがない
 過激なブラックコメディだろと言われた

 母娘の贖罪をめぐる場面で
 笑いすら起きて驚いた
 文化圏の違いを感じた

・作品やシナリオの着想

 まず映画にしたい出来事のいくつかを
 書いていたがあまりしっくりこなかった
 そこで母役を自分の本当の母の名前に変えてみた
 それから筆がどんどん進んでいった

・作品に共通するもの

 人物が他者と出会って近づいていき
 そしてやぶれて変化していくということ
 
 私は人間関係をやや悲観的に考えている
 他者との適正な距離感が大切だと思う
 他者に頼る以前に自身が成長することが必要

・母娘関係について

 昨今の韓国映画では仲良し母娘や
 和解する母娘が描かれることも多い

 しかしそればかりではない多様なモデルを
 示したいという考えがあった



□舞台挨拶:愛を嗤う母

・停電場面での母スギョンの表情

 台本には乾いた笑いを浮かべるとあった

 スギョンは生きるに精一杯で愛なんてことを
 考えてはこなかった
 
 だから娘から愛を乞われて戸惑う

 母役ヤン・マルボクさんの演技は
 現場の空気の中で「役を生きた」ものだ

 あの彼女の表情によってスタッフみんなで
 探していたものに辿りついたという思いがした
 
・結末について

 結末の場面が多すぎるのではとの指摘も受けた
 
 それでもふたりそれぞれの結末を描くことに
 したかったのでこのような構成になった

・バックグランドの説明がないこと

 当初予定は3時間40分の長尺ということもあり
 ふたりの間になにがあったかは描かなかった
 
 過去よりもこれからの未来が大事であり
 だから現在のことを最優先して描いた

・唯一の回想シーンについて

 卒業式の回想は娘イジョンが
 可哀そうだと観客は感じるかもしれない
 
 しかし「どうしていいかわからない」という
 母スギョンを表したくて描いたシーンだ

・衣裳や小道具

 この映画のエピソードは私の実体験ではない
 しかし私自身の母への愛憎は反映されている

 一部の衣裳や小道具は本当の母のものを使った

赤い車がスクラップされるのを
私たち観客も娘イジョンと同じ気持ちで見届ける
メリメリと潰れる車に母を見る

劇場で鑑賞したらぜひ感想をお聞かせください


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映画「逃げきれた夢」 主演俳優は光を冠しているのに


光石研と間と

「光石さんと間で出来ている」

フォローさせていだいているkalindaさんが
評したこの言葉に優るものはない

長年の学校勤めを辞めようとしている男
彼には心の底から語れる”何か”がなかった

妻との関係は空虚なものとなっている
娘に話しかけてみても訝しがられる

松重豊演じる旧友とも北九州弁で
「しゃぁしぃ」と戯れに罵り合うが
本音で語り合うことはない

肝心なことは黙ってしまう
窓から見える平凡な景色のショット

光石研と誰かが向き合っても
ふたりの間には伽藍洞があるだけ

まさにこの映画は
「光石さんと間で出来ている」のだ



□間の長さと虚しさ

彼が施設にいる父と語る場面がある
このときだけは少し自身の本音を漏らす

自分のこれからのこと
幼い頃の父への思い

しかし父の方はすでに話す力を失っている
息子の言葉に反応すらしない

父親役は光石研の実父が演じているのだが
やはりここでも”間”しかないのだ

元教え子とひょんなことからデートをする

「今の仕事辞めて、中洲に行く」

そう言う彼女になにも差し出すことができない
とりとめのない言葉と長い沈黙

こんなに長い間を映画で
味わうこともそうそうあるまい

間の長さと
光石研演じる男の虚しさは比例しているのか

そのあまりに正直で開き直った演出に
じんわり本作への親近感が湧いてしまった

□不思議なタイトル

監督の二ノ宮隆太郎
光石の出身地・北九州でオールロケを敢行した

監督が憧れる主演俳優は
名前に光を冠しているというのに
物語はなんの光も見えないという大胆さ

福岡の映画館での舞台挨拶上映で
オーラをまとう光石研を拝見した

『逃げきれた夢』

夢のようなきらめき
それは私の人生から終生逃げてしまった

このタイトルは
そういうことなのだろうか

不思議なタイトルだ

光石研の隣でニコニコしながらも
どこか無頼っぽかった監督を思い出しながら
福岡天神の劇場をあとにした

街の雑踏が今夜もしゃぁしぃ


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映画「アフターサン」 私たちがソフィのために泣く

□どうして没入しているのだろう

どこかの家族の旅行ビデオ
そんなものを他人が観ていられるはずがない

この映画はひなびたリゾートホテルでの
父と娘のひと夏を映し続ける

極めてパーソナルな映像だ

それなのに私はどうして没入しているのだろう
少し緊張さえしてずっと目が離せない

食事やビリヤードをしているだけの親子なのに
なぜふたりにこんなに惹かれるのか

しかもときおり垣間見せる闇の方に吸い寄せられる

□ふたりの闇と同期してしまう

11歳のソフィが感じている性への慄き
30歳のカラムが怯える死の誘い

陽射し注ぐ夏を過ごす中で
ふたりはしばしば闇にとらえられる

そのとき私たちも同じ闇を同じように感じる

ソフィは本当におどけていたのか
父のために明るい娘を演じていたのではないのか

カラムは高価なペルシャ絨毯を買ったとき
もう自身の終わりを確信していたのではないのか

私たち観客はどうしてこんなにも
ふたりの闇と同期してしまうんだろう



□100年後も語り継がれる

この映画は何なんだ
革新と呼んでもいい作品ではないか
映画はここまでパーソナルであってもいい
そのことを証明してしまった

成人したソフィのショットがごく短く挟まれる

暗いモニターに反射して彼女の顔が微かに映る
あのときのペルシャ絨毯を彼女の裸足が踏む
傍らで微睡むパートナーが彼女におめでとうと囁く

限定した情報しかなく
観客は今のソフィをほとんど知らない

それなのに私たちはソフィのために泣く

11歳のときの自分と
30歳のときの父と
父にもたれ掛かった感触

それはもう永遠に消えてしまったもの

他人の旅行ビデオ
脈絡のないふたりのヴァカンスの様子

ソフィ自身は何も語っていない
それなのに私たちはソフィを完全にわかる

これは映像表現の発明

パーソナルな記憶の再生
決して語られない痛み

かえってそれが観客と強くコネクトする

「パパはもう131歳だけど(笑)
 11歳のときは何になると思ってたの」

「なんでも話していいんだよ
 恋人のことでもドラッグのことでも」

父と見上げたパラグライダーも
首筋に日焼け止めを塗る父の手も
絶対に完全に帰って来ない

赤ん坊の泣き声が聞こえてくる
ソフィはもう思い出から抜け出して
今を生きなければならない

だからかわりに私たちが
心でソフィのために咽び泣く

失われた多くのものを悼みながら
これは100年後も語り継がれる映画という
確かな予感が拭えない


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映画「ウーマン・トーキング」 南十字星に拳を突きあげて


□2023年の重要な1本

2023年のとても重要な1本だと感じる

この作品のテーマは女性の尊厳についてだ

しかし本作は他にも重要なテーマと
向き合う機会を与えてくれた

紛争のときにとるべき態度について
洗脳や教育がもたらすものについて
次世代のために今を生きることについて

またテーマの崇高さに溺れることなく
作品として実に豊かで美しい仕上がりだった

会話劇だが優れた編集で目が離せない
大人の真剣な討論にはしゃぐ子どもの姿を
挟み込むことで作品に批評性をもたらす

顔に深い傷を持つフランシス・マクドーマンド
彼女に代表されるように登場する女性たちの
人物設計が個性豊かで惹きつけられる

プロットも緻密で何も知らず観ていた私は
「Daydream Believer」で大驚愕した

あの美術や衣裳も私を驚愕させるために
周到に加担していた共犯者と言えるだろう

□積極的”leave”

forgive - fight - leave

彼女たちは単に選択を議論していただけではない

”leave”をいかに意義あるものにするか
そういう葛藤をしていたのだと思う

積極的”leave”
主体的”leave”
愛と赦しを生み出すための”leave”

ある女性がインスタで書かれていた

“男だったらleaveという結論は到底出せない
負け犬でいいのかと煽る奴がいたり
立ち向かうことで信念を示そうとするだろう“

私にはその言葉がずっと残っている

そして例えば憲法9条のことなど考える

「もし他国に侵略されたらどうするんだ」
大きな声が9条の本質を終わらせようとする

しかし”leave”と積極的戦争放棄
最先端の叡智ある態度であるという思いが消えない

少し話が逸れたようだ


□今は雨を降らすな

この村の女性は学習機会を与えられず
考えることや意思決定も奪われていた

特異な宗教はおそろしいという見方もできる

性暴力に及んだ男性たちもしかりで
村や宗教の因習が生み出したとも言える

だから教育こそ重要だということになる

そこに異論はないが教育も手放しで
崇拝してしまえば宗教と同じようになる

教育にも洗脳という側面がある
何をどう教えるのか常に問い続ける必要がある

この村の女性たちが命を賭して
守ろうとした可愛い子どもたち

ルーニー・マーラのお腹には赤ちゃんがいる

でもそんな子どもが何年後かに
性暴力をはたらく男性となり得るのだ

青年たちの瞳には純粋さとともに
すでにギラついた衝動が宿っている
キャメラはそれをとらえている

彼女たちの旅立ち

そこには多くの困難が予想されるから
希望の旅立ちとは言えないかもしれない

それでもボクは映画史に残るような
旅立ちの場面に立ち会っているのではないかと
心がクシャクシャになった

だって彼女たちは南十字星
拳を突きあげて進んでいくのだ

勝つとか負けるとか
そんな卑小なことは考えていないというほどに
その強いまなざしから静謐な意思を感じる

エンドロール
暗闇のなかで遠雷が聞こえる
女たちの旅立ちのときだ
今だけは雨など降るなと祈る


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映画「ハマのドン」 ただもの言うことが難しい国


□自分を大切にしすぎている

権力や組織に抗えるわけがない
そう思って生きている

しかし「ハマのドン」は
最高権力に異議申し立てをした

社会的に抹殺されるかもしれない
本当に殺されるかもしれない
惨めな人生になるのは必至だろう

でもそうだったとしてもドンに後悔などあろうか
そういうことが観ているうちにわかってきた

自分は少し自分を大切にしすぎて
いるのではないかと思った

それは結果として自分の本当に大切なものを
大切にしないという生き方になっている

映画を観ていてそう思った

□もの言えない空気

日本にカジノをつくる
これはアメリカと官邸が決めたことだ

カジノをつくれば1000億円規模の税収が
見込めると札束で市民や業者の頬を叩く

横浜は菅首相のお膝元
市長は19万人の反対署名を
無視してカジノを推進する

市長も役人も自分の意思など持てない
上意下達と諦めているのは市民も同じだ

しかし港湾のドンである藤木は違った
「港で博打はやらせない」

カジノは一瞬で破産を招き家族を不幸にする
子どもたちの未来にカジノはいらない

感動したのはドンが勝利したことではない
カジノがどうこうと言うことでもない

彼がもの言えない空気に勝ったことだ

敗北の可能性や結果の恐怖を顧みず
自分の意見を言った美しさだ



□例え受け取られなくても

ドン以外の人間模様にも見ごたえがあった

横浜市長の林文子は前の選挙で
「カジノは白紙」と言って当選した

しかし官邸の圧力で
カジノを横浜に誘致すると言わされた

しかし官邸は横浜でのカジノ推進の
旗色が悪くなると林を斬った

次の選挙で官邸は林を支援せず
国家公安委員会委員長の小此木を辞職させ
”カジノ中止”で出馬させて首長を獲りに行った

梯子を外され業者にだけ支援された林も
自民党の大応援を受けた小此木も落選した

一方でドンのもとには坊主頭の男が駆けつける

NYから来た村尾はカジノの設計者でありながら
カジノの弊害や搾取の仕組みを詳らかにした

なぜ彼は自分の仕事危うくしてまで
ノウハウを披露してドンを支援したのか

「人生において『これは自分がやれる』って
ときにはやらなきゃいけないんじゃないか」

市民たちは汗だくでカジノ反対のチラシを配る
受け取られなくてもやめない姿を観ていると
自分の中で何かがこみあげてくる


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