映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「アフターサン」 私たちがソフィのために泣く

□どうして没入しているのだろう

どこかの家族の旅行ビデオ
そんなものを他人が観ていられるはずがない

この映画はひなびたリゾートホテルでの
父と娘のひと夏を映し続ける

極めてパーソナルな映像だ

それなのに私はどうして没入しているのだろう
少し緊張さえしてずっと目が離せない

食事やビリヤードをしているだけの親子なのに
なぜふたりにこんなに惹かれるのか

しかもときおり垣間見せる闇の方に吸い寄せられる

□ふたりの闇と同期してしまう

11歳のソフィが感じている性への慄き
30歳のカラムが怯える死の誘い

陽射し注ぐ夏を過ごす中で
ふたりはしばしば闇にとらえられる

そのとき私たちも同じ闇を同じように感じる

ソフィは本当におどけていたのか
父のために明るい娘を演じていたのではないのか

カラムは高価なペルシャ絨毯を買ったとき
もう自身の終わりを確信していたのではないのか

私たち観客はどうしてこんなにも
ふたりの闇と同期してしまうんだろう



□100年後も語り継がれる

この映画は何なんだ
革新と呼んでもいい作品ではないか
映画はここまでパーソナルであってもいい
そのことを証明してしまった

成人したソフィのショットがごく短く挟まれる

暗いモニターに反射して彼女の顔が微かに映る
あのときのペルシャ絨毯を彼女の裸足が踏む
傍らで微睡むパートナーが彼女におめでとうと囁く

限定した情報しかなく
観客は今のソフィをほとんど知らない

それなのに私たちはソフィのために泣く

11歳のときの自分と
30歳のときの父と
父にもたれ掛かった感触

それはもう永遠に消えてしまったもの

他人の旅行ビデオ
脈絡のないふたりのヴァカンスの様子

ソフィ自身は何も語っていない
それなのに私たちはソフィを完全にわかる

これは映像表現の発明

パーソナルな記憶の再生
決して語られない痛み

かえってそれが観客と強くコネクトする

「パパはもう131歳だけど(笑)
 11歳のときは何になると思ってたの」

「なんでも話していいんだよ
 恋人のことでもドラッグのことでも」

父と見上げたパラグライダーも
首筋に日焼け止めを塗る父の手も
絶対に完全に帰って来ない

赤ん坊の泣き声が聞こえてくる
ソフィはもう思い出から抜け出して
今を生きなければならない

だからかわりに私たちが
心でソフィのために咽び泣く

失われた多くのものを悼みながら
これは100年後も語り継がれる映画という
確かな予感が拭えない


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