映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「エゴイスト」 肩を抱いてやりたいのだが

□エゴイスト(2023年2月公開)

原作は、エッセイストの高山真が「浅田マコト」名義で2012年に発表した自伝的小説。

14歳で母を亡くした浩輔と、パートナーの龍太、そして龍太の母との交流を描く。

「浅田マコト」は、高山氏が好きなフィギュアスケート浅田真央の苗字から拝借したとのこと。

2020年に肝細胞癌で死去した。ブログ「高山真のよしなしごと(新)」は今もサイトで読むことができる。

監督:松永大司(「 #トイレのピエタ 」)
出演:鈴木亮平 宮沢氷魚 阿川佐和子 柄本明

亡き妻との思い出を浩輔(鈴木亮平)に語りながら、さりげなく主題を示し、そして沈黙を嫌うように飯をかき込む柄本明の演技など、出演者の素晴らしさは枚挙に暇がない。『全裸監督』の森田望智も5秒くらい出ている。

□『幸福の王子

浩輔は尽くすことで愛を示す。

彼のそういう生き方には
彼の生い立ちと母との死別が
滲んでいる。

浩輔が”自分のわがまま”といって
差し出す献身すべては
自分がしてほしかったことであり
自分の母にしたかったことに思える。

浩輔の献身は
経済力が原動力となっている。
龍太は経済的に困窮しており
浩輔は経済力で差別意識に対抗している。
経済力は身を守る現実的な兵器であり
執念でそれを手にしたことを感じさせる。

豪奢な部屋で
壁にかかった大きな絵
もしくは虚空を見つめている。
彼の本質は孤独だ。

色鮮やかな花を人に与えるとき
いっとき孤独から逃れられる。

浩輔が歌う、ちあきなおみの「夜を急ぐ人」。

 あたしの心の深い闇の中から
 おいで おいで
 おいでをする人 あんた誰

心の闇からの誘惑。
脆い愛においでと誘う人は
おそらく自分自身。
愛には喪失しか待っていないと知りながら
根源的な欲求に人は抗えない。

汲めども尽きぬ浩輔の献身は
自分の瞳まで与えた『幸福の王子』を
思い出してしまう。

□小銭を拾うとき涙すること

本作は浩輔の個人史を
見るような作品である。

浩輔と観客との一対一の
パーソナルな映画体験は
以下の映画的特徴によってもたらされる。

・上映時間のほぼすべてに浩輔が映る
・手持ちカメラによる臨場感と密着感
・表情や肩口からのアップショットの連続
・浩輔の視野を共有する狭い画角
・ふんだんに提示される浩輔ひとりの時間
・登場人物は浩輔の世界の住人に限定
・「演技しない」演技によるリアリティ

浩輔の献身的行為を
愛だとかエゴだとかと
論評することは難しい。

なぜならこの映画が
寓話と対極にあるからだ。

教訓や議論を前提とした寓話なら
観客が自分自身の価値観に照らして
喧々諤々することができる。

しかし先述したように
これは浩輔の個人史と思えるから
肯定も否定もしがたいのだ。

画面には極めてパーソナルな
欲情と痛みが溢れてる。

彼と過ごしてきた観客は
「そうか、そういうことがあったんだね」
と思うしかなく
「あなたは、きっとそうするしかなかったんだね」
と友人のように受け入れるほかない。

生きることは一個ずつ全部違う。
生き方とか愛も
人間の数の分だけ種類がある。

浩輔には浩輔の
生と性がある。

浩輔を通じて
その事実を強く実感して
立ち尽くす。

否定も肯定もしたくない。
ただ精一杯立ち尽くして
私はあなたを見ていたい。

そして逆説的ではあるが
この映画がパーソナルであるがゆえに
浩輔に激しい共感も生じる。

私の生き方はあなたとは違う。
私には、違う種類の、違う痛みがあった。
けれど痛みという意味では同じだった。
あなたが小銭を拾うとき涙することを
だから私は完璧にわかる。

浩輔が正しいのかわからない。
わかったところで仕方がないことだ。
龍太との日々を振り返って
胸を張る必要もないし
反省する必要もない。
きっと何度繰り返しても
心の闇に抗うことはできないだろう。

愛は凶暴なほど個別的で
残酷なほど不可逆的だと
この映画は語りかけてくる。

必死に愛を求めてたら
喪失に行き着いてしまった浩輔。
あなたは大丈夫だろうか。

スクリーンを突き破って
肩を抱いてやりたいのだが。



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