映画「離れ離れになっても」 自分たちを熱くさせてくれるもの
□かつての若者たちの叙事詩
1982年のローマ、16歳の4人の少年少女が出会います。
彼らは自力で修理した赤い車に乗り込み、「自分たちを熱くさせてくれるものに乾杯」と歓喜します。
そのなかで唯一の女の子ジェンマとパオロは恋に落ち、ジュリオとリカルドはお前らいつまでキスしているんだとあきれます。
そんな彼らの2022年までの叙事詩。
愛を痛めつけ、誠実さを売り、親友と家族を見失いながら生きる姿を描きます。
そして映画は、彼らに並走する”イタリア現代史”も描写します。
イタリアの政治デモ、薬害エイズ事件、同時多発テロ、貧困格差。
50代になった彼らは悔恨します。自分たちは何も残せなかった。政治に背を向け、子どもたちに与えたのは、外見至上主義とSNSの蔓延る世の中のだけだったと。
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□うまく生きるということ
ほろ苦い映画です。
人が人を好きになる瞬間が何度も映し出され忘れていた感情を思い出させてくれますが、その分だけ愛が朽ち果てて彼らが頽れる姿も目にすることになります。
うまく生きられない人間は本当に可哀そうなくらい愚かだなと思います。
でもこういう映画がたまらなく好きだとも思います。
人間はいつも愛を忘れ、性欲と利己に屈します。また社会の出来事に翻弄されて吹き飛ばされます。生物として不完全で、社会的にも無力な存在がどうやって幸せになれというのでしょうか。
私たちも小さな虫や踏みつけられる草木と同じような存在であることを映画は教えてくれます。
それでも彼らはささやかな喜びで笑っている。もう10代の輝きはなく、その顔には皴が刻まれたというのに。
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□ままならない今日を生きる
最終場面、30年の時を経て再会できた4人が並んで花火を見つめます。
穏やかさと諦観。かつて確かに求めた「自分たちを熱くさせてくれるもの」。
人間の愚かさを描写できる映画は、いつも”自分の映画”です。ままならない今日を生きている人たちの映画。