映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「SHE SAID シーセッドその名を暴け」 虐待と恐怖が”普通”の世界

「ママはレイプをつかまえているの?」

権力者の性的暴行を暴こうとする女性記者ジョディ。

彼女の幼い娘がそう聞いてくる。

小さな子どもたちまでがそんな言葉を使っていることにジョディは慟哭する。

自分の娘には虐待のある世界を”普通のこと”だと思ってほしくなかった。

記者たちが権力と恐怖に立ち向かった勇気の原動力はそこにある。

そして夫は子どもを抱いて、ママであり妻であり記者である彼女を送り出す。

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性暴力の実名報道に到達するまでの過程には、特別なタネも仕掛けもなかった。

取材をし、事実を積み上げ、被害者に寄り添い、告発される側の言い分も聴く。

この工程をひたすらループするだけだ。

この社会ははっきりと恐怖と権力に押さえつけられている。

きっと報道機関もスポンサーや政治権力からの圧力で忖度を余儀なくされている。

だから正義に辿りつくのは絶望的なほど困難だ。

ただ…絶望的だが、絶望ではない。

記者たちが諦めなければ、”蟻の一穴”のような資料や証言が得られる。

その積み重ねの中でリスクを承知で証言しようとする被害者があらわれる。

なぜか。

それは記者たちと同じ思いだ。

虐待と恐怖の世界を普通のことにはしたくない。

子どもに同じような体験をさせたくない。

記者たちの切実な取材の積み重ねによって、そして被害者が再び傷つくことをも覚悟して実名報道を決意する。

蟻の一穴で権力が決壊することもある。

この映画で教えてもらった事実を忘れたくない。

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当事者は被害者と告発される側だけではない。

キャリー・マリガン扮する記者ミーガンは言う。

勇気をもって告発しても、世間が無関心だったら加害者は悔い改めず、同様の被害が続いてしまう。

どういう社会で生きたいのかということは、被害者やジャーナリストだけでなく、私にも問われている。

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