映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「非常宣言」 まんじりともしなかったのに、まんじりともしなかった

「非常宣言」


航空機パニックムービーとして一級品だが、その凶器が感染ウィルスということで、"自分の映画"だと今を生きる観客を引き寄せしまう剛腕ぶり。

犯人の素性や動機を知りたいという観客の気持ちはあっけなく砕かれ、そのあたりも非常に今日的だ。事の重大さに対して、犯人のあまりの短絡さに同じ人間として人間に落胆する。
 
そんな間にも機内は追い詰められ、まるで横光利一の小説「蠅」のように人の非力を突きつけられる。

地上ではソン・ガンホがあたふたするするが、あたふたし過ぎで観客道連れでクルマごと横転する。まだあったのかカーチェイス撮影の新機軸。映画館で雪崩式ブレンバスターくらったのは初めてだ。

政治的テーマが際どいところに踏み込んでいるので意見はいろいろあるだろう。しかしそうした果敢な語り口含め、テーマ、モチーフ、撮影技術など、現代映画の到達点。

私自身の生理から本作がいかに比類なきものか示せるポイントは2つ。

1つ目は、昨夜私が猥褻短編動画の取り締まりを自主的に行っているうちストックホルム症候群に陥り、猥褻動画と昵懇になり、朝までまんじりともしなかったにも関わらず、本作鑑賞時もまったくまんじりともせず完璧に集中した。こんなに集中したのは、集中したのは…集中したこと自体が生まれて初めてであった。

2つ目は、飛行機が落下していくシーンでCAが激しく天井に叩きつけられ、タイトスカートがまくれそうになった。幼少期よりパンチラを生業としてきた私であるが、作品に引き込まれていてこのタイトスカートチャンスに1ピクンもしなかったのだ。それはひとつの映画芸術によって、人類がその誕生から苦しんできたモジョモジョした欲望をついに超克した瞬間であった。

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本作の後半の展開、さらに敬意と感謝を抱く。

人間の希望はどれほど耐久性があるのか。
人が共生できると信じるのは愚かなのか。

空港でのデモ。そうきたか。

これぞまさに現代のトロッコ問題。

結末や展開にあまた見識はあろうが、かくある主題に逃げも隠れもしなかった映画「非常宣言」。

この本作が映されたスクリーン、心なしかいつもより威風堂々と見えた。

それにしても”まんじり”って…

#非常宣言