映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「かがみの孤城」 ささやかな声、日の差さない部屋。


中学生たちが生きる世界は過酷だ。


「だから逃げてもいいし、こんな世界とまともに向き合わなくてもいい。」

そう言うのは簡単だが、それができないから苦しんでいる。

自分を思い出す。

どうして自分は中学から逃げられなかったんだろう。そして、実際に中学に来なくなった彼はどうしてそれができたんだろう。彼はどんな大人になったんだろう。

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この映画に登場するキャラクターたちは、体温の低いささやかな話し方をする。

声を荒げたり、はしゃいだりしない7人の中学生たち。

彼らは鉛のような鈍い瞳をしていて、日の差さない部屋から窓の外を眺めているような佇まいだ。

そういう態度と世界観は映画の冒頭から終盤まで一貫していた。

終わってみれば、そうした描き方は製作陣の”誠実さ”だったのではと思った。

この映画は「あなたの心を守りたい」というその一心でつくられていたように感じた。

そこに全てを賭け、物語の盛りあがりやギミックには目もくれずつくられていた。

不登校もいじめもストーリーの推進力として下品に活用することは拒否していた。

いわゆる伏線回収も、回収されることが目的になっていなかったと思う。

体温の低さも日の差さぬ部屋も”あなた”に寄り添っていたいゆえだったのだ。

まるで特定の”あなた”を守るための切実な映画。そんな手触り。

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中学生7人の苦しみが展開する中で、大人の役を演じている宮崎あおい芦田愛菜麻生久美子の声を聴いていると落ち着いた気持ちになる。

そう言えば彼女たちもかつて年若く、傷つきやすい子どもだったんだ。ずっとスクリーンで観てきて知ってる。しかもそのまま"変わらず"大きくなっている。

中学校に行けている人がいつか行かなくなる。
子どもがいつか親や先生になる。
被害者が加害者になったりする。
助けられた人が助ける人になったりする。

そうだ、私たちはシームレスを生きているのかもしれない。

私たちの心は、自分と他者を、今と未来を行き来できるのかもしれない。

それならば、この映画が必死に描こうとしている”誰かのために生きる”ということが実現できるかもしれない。

大人になるというのはどういうことなのか。

子どものときの痛みを憶えたまま大人になることは、すなわち「次は私が誰かのために生きる」ということなのだ。

この作品は、マッチョにサバイブすることを正解と考えなくていいのだと"あなた"に届けようとしている。

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劇場の明かりがつく。
客席にいる若い人たち
なぜこの映画を選んで観に来たんですか。

私にもあなたのような歳があったし、あなたも私のような歳になる。

ささやかな声、日の差さない部屋。

それでも大丈夫、心はそういうささやかなところにしかない。

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