映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

小説「むらさきのスカートの女」(今村夏子) ももいろのブリーフの男

「こちらあみ子」「あひる」と読んできて、今村夏子は不穏な語り手だという感触が拭えない。

小中学生でも読めそうな平易な文章だが、行間に埋もれている罠が怖くて、一行ずつ地雷を確認するような足取りで読む。

本作には「むらさきのスカートの女」という”おかしな人”が登場する。

「むらさきスカートの女」がおかしいと思っていると、語り手の「黄色いカーディガンの女」こそが”おかしな人”なのではないかと展開していき、さらにこのふたりの人物は作者によって作為的に操作されていて今村夏子こそ”おかしな人”なのではと疑いだす。

そしてとうとう、彼女たちを”おかしな人”と歪んだ尺度で断罪する読み手である自分が”おかしな人”だと思い至る。

あみ子、あひるを飼う夫婦、ローラーガーデンの女たち、むらさきのスカートの女。

今村夏子の目には人間がこんなに不確かなものに映っているのだろうか。

私は、自分の不確かさを自覚することなく厚顔に生きている。

その厚顔さは今村夏子の透徹した眼差しの前では、卑猥なほどではないだろうか。

もしかして私は、「ももいろのブリーフの男」くらい”おかしな人”なのではないか。

自分が解体されていくような読後感だ。

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『「このへんで、女の人を見ませんでしたか?三十歳前後の、髪の長い女の人です」

服装は?と、そう訊かれ、「むらさき色のスカートを」まで言いかけて口をつぐんだ。

昨夜のむらさきのスカートの女が何色の何を穿いていたのか、わたしはどうしても思い出すことができなかった。』

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この小説はふたりの人物が同一人物ではないかという読みをする方がいるそうだが、自分はそれと今村夏子の3人で同一人物と思って読み進めていた。作者が人物と同化しているのは、ある意味では当たり前ではあるのだけれど。

今村氏が小説を書く際に背中を押されたのが金原ひとみ蛇にピアス」だと聞き、今のマイフェイバリット作家なのでなんだかうれしい。

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