映画「ザリガニの鳴くところ」 湿地の沼で心を洗う
”湿地の少女”は野生だ。
だから彼女は植物や動物と同じように善悪の概念に縛られない。
法にも教育にも宗教にも無縁で生きてきた。
あったのは生きることに必死だったということ。
彼女には「生きることこそが最大の善」である。
彼女は、水に飛び込み、鳥の羽と貝を拾い、光を浴び、愛する男に吠えかかる。
生きることそのものが目的の湿地のナウシカ。
それにひきかえ我々は生きることをひどく難しくしている。
バーチャルに遊び、承認欲求に囚われ、生きるために生きる意味をほしがる。
生きることが目的の少女と、生きる目的がないと生きられない我々。
クズ男が自分のタネをまき散らしたい欲情
社会が異端を排除したいという暗い情熱
青年が彼女と添い遂げたいという健気さ
人権派弁護士の深い慈しみと優しさ
こうした人間の美醜すべてを、彼女の”生きるという業”が圧倒し、湿地の底に沈めてしまう。彼女は結局のところ、人間相手には誰にも心は許さなかったのだと思う。
この映画で生きることがずいぶんと苦手になってしまった我々の心は洗われただろうか。
湿地の沼のザリガニ臭い泥水でジャブジャブと洗われた心を見て、心洗われたいと思っているところで随分と彼女と隔絶していると途方に暮れ、今さらどうにもならない心を持て余している。
#ザリガニの鳴くところ