映画「ブラックパンサー」 1個のパンの食い方
「ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー」公開にあたり、2018年公開の「ブラックパンサー」が劇場で上映中。
「危機に瀕したとき、賢者は橋をかけ、愚者は壁を造る。」
ラストで、ワカンダ国王でありブラックパンサーであるティ・チャラ(故チャドウィック・ボーズマン)は、国連で演説し、人類共生を唱える。
ワカンダ国の”鎖国”から人類共生を決断するまでを描いているのが本作であるとも言える。富と安全を自国で囲うのではなく、世界全体で分かち合おうと踏み出す。
尊属殺人さえ犯す人間が、相も変わらず戦争をしている人間が、肌の違う人間とパンを分け合うことができるのか。1個のパンしかない。3人で食うには到底足りない。それでも分け合って皆で餓死するのか。殺し合って独りが食うのか。別の知恵でも浮かぶのか。
もし人類がティ・チャラの決断をしたらきっと失敗するだろう。人間ばかりがそんな高等で優しく共感性の高い動物であるはずがない。カマキリのように共食いすら辞さないのが人間だろう。
しかし失敗がなんだというのか。すでに人間はいろいろ失敗している。分かち合うということを血みどろで模索して一敗地に塗れるのが人間であるならば、人間であることに誇りを持って滅んでいける気がする。滅びの日まで共生に挑む愚かさがあってほしいと願う。
どうせ生きるは滅びるまでの暇つぶしなのだ。なにをして暇をつぶすかは好みの問題だ。人間は好ましいことを好んでほしい。
11月3日、国連の自由権規約委員会は、入管施設で2017~21年に収容者3人が死亡したことなどに懸念を示し、日本政府に拘束下にある人たちが適切な法的保護を受けられるよう求めた。
「牛久」や「マイスモールランド」といった映画作品から、日本の”分かち合い”がよくわかる。この国は分かち合うことに強烈なほど怯え切っている。外国人は赤鬼だ。小さな体の島人たちは震えながら、これは人間ではなく鬼だから、われわれに危害を加える鬼だからと言って皆で取り囲んで嬲り殺しにする。
移民も難民も拒んでないですと口では言って殺すほど拒んでいる。ずっとそういう国家で行くのだろうか。かっこいい。
原作漫画でブラックパンサーというキャラクターは1966年に登場している。映画はまず1992年のカリフォルニア州オークランドを舞台にはじまるが、オークランドは監督ライアン・クーグラーの出身地であり、人口の30%以上をアフリカ系黒人が占め、ハリス副大統領の出生地で、1966年に”ブラックパンサー党”が設立された場所だ。
ブラックパンサー党は黒人差別廃止を標榜した武装組織で、特に警官による黒人への暴力を抑えるために白人警官の追尾や監視を実行した。全米で40もの支部に拡大したブラックパンサー党はFBI長官から「国家安全保障上の脅威」と名指しされる。急進的な活動や社会福祉的な活動を実践し、国家からの攻撃や内部分裂の誘発もあり、最終的には解党にいたる。
歴代世界興収14位、歴代全米興収6位。アカデミー賞は7部門でノミネートされ、ヒーロー映画での作品賞ノミネートは初。3部門でオスカー獲得。黒人監督(ライアン・クーグラー)による黒人ヒーローの活躍を描いた新機軸として注目を浴びる。
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