映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「レイジング・ブル」人生失敗の誘惑

「お前、弟のジョーイとファックしたか?!ファックしたんだろ!」(狂)

「ああやったわよ、あんたのより立派だったわよ、町中の男のをくわえてやったわよ」(逆ギレ)

ボコボコボコボコ(殴)

病的な猜疑心の主人公ジェイクが、妻のビッキーに弟とセックスしたんだろと根拠もなく詰め寄る場面。これを端的に表現すると?そうです、そうです。はい、地獄です。

ロバート・デ・ニーロ演じる実在のボクサー:ジェイク・ラモッタ。デ・ニーロ・アプローチでの肉体改造。マーティン・スコセッシの映画力爆裂。ご両名の金字塔「レイジング・ブル」。

これはボクシング映画ではない。「人生の失敗」映画だ。

暴力的で、妻への嫉妬心が強い、ボクシングチャンピオン。

彼のことを狂人と言ってもいいし、ちょっとかわいく"不器用な男"と表現しても構わないと思う。

確かなことは人生に失敗したジェイクの因子はオレの中にもあるということだ。嫉妬心が強く、不器用ってたいていの人間が当てはまってしまうのではないか。

「あんたいつか私のこと殴るよ」

そう女に言われたことがある。この心優しき、臆病なオレが女を殴るはずないだろ。でも彼女にそう言われたことで、ぼんやりとしていた自分の中の暗渠が顕在化した。そう、いつかオレはこいつを殴る。それくらいの悪魔的憎しみをオレは先天的に孕んでいる。

チャンピオンになったものの、相棒だった弟を失い、妻子を失い、敬意を失い、投獄され、金はなく、太った体でつまらないコメディアンになったジェイク。

スクリーンに映るジェイクの人生はさほど特殊には思えなかった。極言すれば平凡な人生であり、普遍的な転落として共鳴することさえできた。金持ちや貧乏人や美人やブ男や天才や市井の人がみじめになるのはよくある話だ。

「人生の失敗」って何だろう。

ラストショットが家族の食卓で終わらなければ人生は失敗なのだろうか。金のない最期、孤独な最期、狂った最期、殺された最期、蛆の湧いた最期。こうやって死んだらいけないのだろうか。

こうやってしか死ねない気がする。

不器用であるという自分をそれなりに偽りなく愛して育んで行けば人生は「失敗」しか待っていない気がする。不器用という自分のゆがみは、自分そのものだからだ。

なんとか欺瞞に成功して不器用という自分の愛おしいゆがみを封じ込めれば、欺瞞の自分と欺瞞の妻と欺瞞の家族を手に入れ、家族の食卓に着けるかもしれない。

その食卓の座り心地はどうなのだろうか。

心配しなくてもそんなものに座らないとも思う。失敗はなぜか優しく、いつもおいでおいでしてくれている。

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