映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「もっと超越した所へ。」 焼肉行きたい


男女関係を、愛で語るのはもうやめにしないか。

AIが何でもかんでもの時代に、男女の議論はいまだ旧石器時代だ。

私たちはホルモンに支配されている。誰かを好きになるのは完全にこいつの仕業である。このことが自明になって久しい。

私たち自身に恋愛の自治権はない。習近平(ホルモンと読む)の独裁だ。

しかもこのホルモンと下半身の連立政権は3年任期だ。あんなに愛した(発情したと読む)相手も最長でも3年で「はぁ誰だっけおたく?」となる。

また新しい相手にドーパミンをビュンビュン出してキュンキュンしたくなる。これはもう構造的にゲスを責める前にホルモンを理解すべきだ。

ホルモン憎んで、渡部憎まず。
みちょぱだって、ホルモン次第。
 
 愛の不時着 → ホルモンの不時着
 愛がなんだ → ホルモンがなんだ
 生きてるだけで、愛 → 生きているだけで、ホルモン
 愛されるより愛したい → ホルモンされるよりホルモンしたい

「米が重いのでやっぱり男がいてほしい」

前田敦子のこの一言は、革命的な思想に思えた。愛でもホルモンでもなく、米。ついに男女関係をホルモンから私たち自身に取り戻す日がきたのか。しかし前田氏の言ってることも、男に求めるのは「役にたつこと」であり、煎じ詰めれば「経済力」となり、おそらくこれはこれであんた稼ぎなさいよの修羅場と化すだろう。

米を持ってくれた、電球を変えてくれた、コーヒーを淹れてくれた、耳毛を切ってくれた、4年ぶりに抱いてくれた。

こんなささやかさで男女は一緒にいられるのだろうか。いやさ、よしんばいられたとしても、夫は妻はパートナーは長くいれば何かやらかしてくるものだ。

リバースして部屋を汚す、おもらしして晩節を汚す、鬱になって面倒掛けてくる、色違いで同じ型のワンピースを4着新宿伊勢丹ポップアップで買うてくる(実話)、ネットワークビジネスに騙される、体臭がきつくなる、座りションをしない、座りションをさせる。

ダメだ!どう考えても男女はうまくいかない。

私は、映画「もっと超越したところへ。」を観ながらうまくいかない男女をざまあ見ろガハハと笑う。帰り道、あのカップルも、あのカップルも本質的には不幸なんだなと、早足でふたりの間を割って通過する。勝った。ラブホに入る車を見て舌打ちする。ナンバー「福岡 1919」。なーにー!スーパーで3玉100円の焼きそばを買う。3玉もいらないのに。真っ暗なアパートに帰る。「死のうかな」とつぶやく。

どんなに男がクズでも女は男が好きなのである。
どんなに女が面倒でも男は女が好きなのである。
LGBTQも男か女かその両方が好きなのである。
だけどそれでいて私は私がとても好きなのである。
私のことは嫌いでも私のことは嫌いにならないでください!(涙、鼻水、いろんな汁)

この映画、最後このくらい取っ散らかして終わった。80年代の小劇場演劇、もしくはテント芝居の”屋台崩し”だった。

くだらねぇ、痛快、無限ホルモン!

なんか焼肉行きたいね🥩

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