映画「スペンサー ダイアナの決意」 誰かの犠牲の伝統なんて
野心的なつくりの映画だ。
ダイアナの生涯やエピソードをたどって共感を呼び起こす伝記映画ではない。
常に響き渡るダイアナを蝕む音楽、苦痛に顔をゆがめるダイアナのクローズアップ、周囲の人々の険しい無表情、重たい油絵のような色調やグレーの冷たい色調。
彼女の心象が観客にずっと迫ってくる。クリスマスを挟んだ3日間を描いたものであるが、壊れゆく女を至近距離で見続けるのはタフな体験だ。
屋敷から出られないダイアナと我ら観客との息苦しい距離の近さに、収容所に閉じ込められた「サウルの息子」を想起する。
ダイアナを壊すのは、王室のしきたりや無理解な人々であるのだが、「料理(食事会)」と「服装」がさらにダイアナを追い込んでいくというこの映画のモチーフも個性的だ。
ある服装係の女は、ダイアナの考えを受け入れず、まともな会話も成立しない。この女にパパラッチ対策でカーテンも縫いつけられてしまい部屋は光も射さない。
ダイアナは一刻も早く女に部屋から出て行ってもらいたい。
「ひとりにして、オナニーしたいの」
自慰研究家の私でもこれほど切ない宣言は聞いたことがない。私の提唱する「NO FUN NO G」にも反する。まあ女を追い出すための詭弁ですが。
狂人扱いされながらも屋敷から脱出し、ロックをかけながら車で爆走するダイアナ。旧姓を名乗り、ジャンクフードを喰らう。
本来は解放されたダイアナに最高のカタルシスを覚えるはずなのに、すべての観客が彼女の続きのストーリーを知っているから、この幸福な場面が「終わりの始まり」にしか見えない。
現代にお姫様や王様なんか本当に要るのだろうか。
やめちまえよ、助けてやれないなら。
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