映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「ザ・マスター」 その切実ささえわかれば


「ザ・マスター」(2012年公開)
ポール・トーマス・アンダーソン監督
中洲大洋劇場にてリバイバル上映
ありがと♪

全然歯が立たなかった。わからない時間がずーと続いていた。

終わったとき他のお客さんに「え、えー--!これ、わかりました!?」ってブンブン揺さぶって聞きたかったが、大人なのでガマンした。

帰還兵でアルコール依存のホアキン・フェニックス
新興宗教のボス、フィリップ・シーモア・ホフマン
ホフマンの妻で、実は夫と夫のナニをがっちり握っているエイミー・アダムス
他にローラ・ダーンラミ・マレックも。

わからないのはつらいけど、「わからないのにおもしろい」に出会えたときは格別だから、これからもウロウロ映画館に行くだろう。

中3のとき学校をさぼって退屈して「ノルウェイの森」を読みだした。村上春樹なんて読んだことなかったし、読書家でもなかった。赤と緑と金の帯がキレイだから買ったのだ。話や主人公の考えはわからないけど、エッチで哀しい小説だった。以後、すべての小説の中でもっとも読み返していくことになる。

高校のとき紀伊国屋ホールで第三舞台を、パルコでつかこうへいを、シアターアプル夢の遊眠社を観た。わからないけど、ずっと体の奥の衝撃がとれなかった。以後、取り憑かれて追いかける。

「わからないけどおもしろい」は「わかっておもしろい」よりおもしろい。

「わからないけどおもしろい」は、まだ深淵が広がっていて自分を変えるほどの期待がある。

「わかっておもしろい」は、すでに全景をとらえていてたぶんもうそれ以上の蜜はない。

わからないながらもおもしろいと感じるのは、「理解はできないし言語化はできないけれど、作者がそのシーンを撮った切実さはわかる気がする」ときだ。

その一文に、そのショットに、そのセリフに、その沈黙に、そのハミングに、わからないけれど震える。

たとえばサザンが好きな人とかそうじゃないのかな。

「胸騒ぎの腰つき」「誘い涙の日が落ちる」「我はエロティカセブン」

巻き舌でウーウー歌ってなんのことやら。でもおもしろいし、感動する。



ポール・トーマス・アンダーソンはわからなかったし、彼の切実な創作衝動もわからなかった。

エイミー・アダムスがホフマンに洗面所でなんであんなにエッチなことをするのかわかる日が来たらいいなと思うし、ホアキン・フェニックスの狂気が本気でわかるとなったらそれはそれでオレもかなりヤバいんじゃないかとも思う。

人生もわからないけどおもしろいと言ったらまとめすぎだろうか。

会社勤めは道筋がわかるけどつまらないから、わからないけどおもしろいを選んでやめちったと言ったら詭弁だろうか。

PTA(ポール・トーマス・アンダーソン)。世界三大映画祭を獲っている監督だから、ビンビンきてる人も多いんだろうな。ま、このフライヤーのデザイン見る限りPTA(学校の方のやつ)も真っ青のそーとーな変態野郎だけどね😝

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