映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「マイ・ブロークン・マリコ」 遺骨のあんたと川を渡る


ダチのマリコ奈緒)を亡くしたシイノ(永野芽郁)は、遺骨を抱いて旅に出る。

いまどき「ダチ」だって、いいね。

シイノは、ラーメンひと口がやけにデカくて、スマホの画面が割れていて、「クソ上司」と登録していて、営業職なのに髪が明るくて、靴のスペアがなくて、足を広げてタバコを吸う。いいね、なかなか。

旅の途中、バスの中でシイノは楽しそうな女子高生3人組より、ひとりポツンとしている方の女子高生に心を寄せる。

言葉も交わしていないのに、車窓からその彼女に手を振ったりする。

そしてなんでか知らないが、シイノはバスから降りたらバスにも手を振る。

そんなだからきっとマリコはシイノを親友に選んだんだろうな。

マリコは何度かシイノに「シイちゃんと一緒に住みたい」と言っていた。

そして、一番ブスな保護猫も飼おうよと。

一緒に住めばマリコは死ななかったのか。

いや、それは違うか。

遺骨と旅してやることはできるが、一緒に住んでずっとマリコの手を握っていてやることは、それはできない。

人はひとりだ。

一緒に旅はできても、ずっと助け続けることはできない。

残念ながら親友でさえもだ。

遺骨を抱いたシイノがオレンジ色と黄色の中間、アンバーの夕景に照らされて美しかった。

明るい髪と、ベージュのトレンチコートと、背後のススキが、黄昏に輝く。

もっとふたりの場面を観たかった。ずっとふたりの場面を観たかった。

ダチが死んだら自分はどうするのかなぁ。

もうこの世で生きているのがつまらないから死のうかな。

それもいいと思う。

この世に対する執着はそれくらいがいいだろう。

そうしないと死ぬのがこわくなっちゃうよ。絶対死ぬっていうのに。この世で生きることより、ダチといることに執着がある方が健全な気がする。

高校生のとき実の娘を強姦したテメエにマリコは渡さない、あたしはマリコの幼馴染だ、刺し違えたってマリコはあたしが連れていくと叫び、自分をかえりみず窓から飛び降り、そのままマリコを胸にかき抱いてバシャバシャと川を渡っていく。

マリコはきっとうれしかっただろう。オレならうれしい。永野芽郁ならなおさらだ。

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