映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画『LAMB/ラム』 真面目にやっていれば何とかならない世界

理屈の通った世界で生きていると思っている。

1に1を足せば2になり、働けば対価があり、罪を犯せば罰がある世界。真面目にやっていれば、まぁ何とかなる世界。

ところがこれは人間の論理である。

四方を山々が囲み、無慈悲な風が草原を揺らし、鈍ぃ陽光しか差さない大地では、その論理は通用しない。

この厳しい自然の中で、善良な動物は生き延び、邪悪な動物が死ぬのだろうか。昨日屠殺された羊は怠惰な羊で、まだ屠殺されていない羊は勤勉な羊なのか。

違う。

たまたま生きた動物が、たまたま生きているだけである。

人間中心主義でこの映画を観ていると気がおかしくなりそうになる。

人間中心ならば、喪失感を抱えた質素で寡黙な羊飼いの夫婦には福音がもたらされるはずだと考える。

しかし世界(あるいは神、あるいは自然、もしくは宇宙)は、そんな「配剤」をしない。

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観客はアイスランドのこの世の終わりに放り込まれ、「アリがたまたま人間に踏まれて死ぬように、人間が自分でもわからぬまま破滅するさまを見ていろ」とばかりに客席に縛り付けられる。

何が起きるか予想できない映画だが、悪いことが起きるということだけは確信する。すぐれたショットと構図がそれを暗示するのだ。

画面の中で羊たちは一斉に軽蔑の眼差しを人間に向け、犬はこれから起きる不吉にけたたましく吠え、猫はじっと悪い顛末を待っている。

真面目にやっていれば何とかなる。「LAMB/ラム」はそんな傲慢(メルヘン)を嘲笑う。  

もし理屈が通る世界というならば、牛豚鶏を喰らい、虫を叩き殺し、犬や猫をかけ合わる人間は、もっと不幸にならなければ辻褄が合わないだろう。

ラスト、マリアという神々しい名前を持った主人公が、すべてを奪われてもまだ何もあきらめていない目をしているのが、汲めども尽きぬ人間の業を感じさせて印象的だ。残酷で美しい宗教絵画のごとき映画。

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