映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「SWAN SONG スワンソング」 やはりどう考えてもクソジジイが正しい

”愚かな”クソジジイの映画だ。

あやうく”まっとう”に生きようとして、私はとても焦るときがある。

しかし、この老人ホームから抜け出してきた元ヘアドレッサーのジジイは、もう早晩死ぬというのに、なお生きているのが恥ずかしいほど愚かな行為を連発する。

愚かさ現役バリバリのジジイ。

落ち着きない、考えない、反省ない、枯淡ない。

愚かさの白眉で言うとこれだ。

♪頭にかぶったシャンデリアがバーン♪ 
(お好きなメロディDEどうぞ)

いいからはよ死ねジジイ。
ひとり電撃ネットワークすな。

火のついた煙草を食って騒ぐ、化粧品を万引きする、酒を万引きしてラッパ飲みする、洋品店の店員をほっこりさせながら結局洋服ガメる、偉そうにするも仕事にビビッて逃げる、過去の栄光に憑りつかれている頑迷さと妄執、コドモリュックでウロウロする、クラブで踊って恍惚絶頂。

swansong-movie.jp


うっかり”まっとう”に生きようとするときがある。

こんな私ですらそうだ。

うんこもらしたパンツを隣家に投げ込んだ私の愚かさは、ジジイと同率首位だろう。 

まっとうに生きたとて何だというのだ。

人間は愚かに生まれ、愚かに生き、愚かに死ぬべきではないのか。

それでこそ人生に意味がある。
もしくは人生に意味などないと解放される。

まっとうに生まれ、まっとうに生き、まっとうに死ぬ。

それはあまりに空疎だ。
”まっとう”の中にはなにも入っていない。
なんで生まれてきちゃったのという哀しい風しか吹いていない。

生まれたこと自体罪深いのだから、そもそも”まっとう”の資格などない。

うんこして、オナニーして、ゲボはいて、お漏らしして、嫉妬して、憎んで、人を傷つけて、また人を傷つけて、地球も傷つけて、常時オナニーしているのに、どのツラ下げて”まっとう”なのだ。

やはりどう考えてもクソジジイが正しい。

ジジイは自分を愚かだと思っていないほど愚かだ。

”愚かにも”自分を信じている。
”愚かにも”カッコよくありたいと願っている。
”愚かにも”過去や昔の愛を美しいと思っている。
”愚かにも”人生は素晴らしいとさえ思っている。

この愚かさをオレは持ち合わせているか。
オレは晩節をこれだけ華麗に汚せるか。

そう考えると私は大変大変恥ずかしいのです。

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