映画「恋恋風塵」 「ない」というドラマが唸りをあげて起きている
クラスや会社に必ずいる。
地味で無口ではあるが、賢くて誠実な人物。
余計なことはペラペラしゃべらないし、調子にのって踊らないし、オレがオレがとわめかない。
しかし本質を生きているような人物。もちろん一目置かれる。長くみんなの記憶にも残る。
「恋恋風塵」はそういう映画だ。
家のテレビで鼻くそほじりながら油断して観ていると眠ってしまうかもしれないが、スクリーンで観ると違ってくる。
セリフとセリフ、行動と行動の「あいだ」にこそ本質があるとばかり、スクリーンの静寂(しじま)に人間の豊かさが存在する。
なにも起こらない映画⁉
いやいやいやいや、いやいやいやいや。
無言で心の硬いところをコンコンコンコンと蹴ってくる映画だ。
ドラマは起きている。
彼女は、左手首に包帯を巻いた。
彼は、父がくれたライターを難民に差し出した。
彼女は、彼の兵役を見送らなかった。
彼は黙って彼女の荷物を持ち、彼女は黙って荷物をゆだねた。
じいさんはイモ栽培は手がかかると3回も言った。
ふたりの恋は風に舞う塵のように消えた。
キスしない、セックスしない、手をつながない、好きと言わない。
撮れるか。凡百の創作者にそんな恋愛映画が。
「ない」というドラマが唸りをあげて起きている。
国が違う、時代が違う、言葉が違う。それなのに彼の慟哭と彼女の業が完全に理解できる。違うことだらけなのに完全に「懐かしい」。
それは世界中で恋恋が塵のように風に舞うからだ。
完全なタイトルだ。
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