映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「アプローズ、アプローズ!囚人たちの大舞台」 結末は唖然、でもベケットが爆笑してるんだからいいのか


本作ふくめフランス映画を見ると

「フランス人」の多様さに目を奪われる。
肌の色、出身地、価値観、クセ、移民難民…
これぞ「フランス人」というタイプがない。
ごった煮な人たちがフランス国を構成している。

当然ごった煮なフランス人たちは
ワイワイガヤガヤと揉めながら生きている。
何とか微かに重なり合うところを模索する。

それが何だか気持ちいい。

フランス映画のときの自分は
国家って、国籍って何だろうと
ストーリーとは別に沈思しながら
いつもスクリーンを見つめている。

もちろん同時に考えている
日本って、日本人って何だろうと。

この島国で生まれた人のことを指すのか。
日本語を操る人のことを指すのか。
天皇を尊敬する人のことを指すのか。
沖縄や北海道はどうなのか。
リベラルな人も許容されるのか。
日の丸君が代が苦手はダメなのか。
在日はいったい何世代”在日”すれば
”在日”って冠が取られるのか。
いつまで難民を収容所に閉じ込めるのか。
受け入れないならそう世界に言わないのか。

多様なフランス映画がいちばん
日本って何だろうを考えさせられる。
アメリカは系統で棲み分けしてる感じ
フランスほどごった煮な感じがしない。

たいぶ横道に逸れた

売れない役者エチエンヌが
多種多様な「フランス人」囚人たちに
演劇を教えて舞台に立たせるお話。

エチエンヌを演じる役者のルックスがいい。
はげてて、髭ずらで、ポチャである。
売れない役者はこうでなくっちゃ!
人生うまく行ってない人はこうでしょ!


よく映画でイケメンや超絶美人が
”パッとしない市井の人”を演じるけど
「ざけんなてめぇルックいいじゃんかよ!!
 市井の意味わかってんのか、おい、ゴラ!
 読めんのかイチイじゃねえぞシセイだぞ!
 お前と無縁だから読めなかっただろ!
 なに読めた!どこまで欲しがりなんだよ!!
 ルックがよくて、学もあんのか。
 格差だな。数人のイケメンで幸せ総取りか!
 (嗚咽)」
といつもシラケる。
シラケるんだよ福山雅治!(流れ弾)
しかし、本作はナイスルックです!

演目は不条理劇の最高峰「ゴドーを待ちながら」。
荒涼たる舞台でゴドーを待ち続ける男たち。
ゴドーとは誰なのか、何のか。
ゴッド(神)なのか、希望なのか。
来るあてのない何かを待ち続けるのは
不条理であり、だから人生に似ている。

囚人はいつも刑務所で
出所を、自由を、家族を、食事を
待っている存在だから、難解な
「ゴドー」もリアルに演じられると
おっさんエチエンヌは考えつく。

演劇には教育プログラムな側面がある。
演技をするためには、
 自分とは何かを考える
 他者との関係を追求する
 自意識と客観評価との距離感をつかむ
こういうものを囚人たちが育んでいく。

そして演出のエチエンヌ自身も
仕事である演劇、囚人たちとの関係、
うまくいっていない家族、司法制度、
と向き合っていく。

みんなちがうフランス人
凶暴でやっかいな囚人
難解な表現活動たる演劇
不条理演劇の傑作戯曲
司法制度の分厚い壁

こんな条件のなか我らがエチエンヌおっさんは
時にキレたり嘆いたりしながら進んでいく。

さて「ゴドー」を演じる囚人たちは待てるのか。
自由を、希望を、本当の自分を取り戻す日を
待つことができるのか。

結末に対しては発する言葉もない。
賛否を唱えてもこれが実話なのだから
「そ、そうなん」と唖然と受け止めるしかない。
映画によって言葉が奪われる。
整理できない感情。

やれやれ、これも映画体験における
混乱と幸福のひとつだ。

ちなみに「ゴドーを待ちながら」の原作者で
ノーベル賞作家のベケット
この実話である結末の出来事を聴いて
「最高!」とアプローズしたそうだ。

 

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