映画「エルヴィス」 君が40でボクが50になったらもう一度やり直そう
バズ・ラーマン監督の絢爛豪華で目まぐるしい映像は、エルヴィスがキング・オブ・ロックへ駆けあがるゴージャスさを描くのにとても似合っていた。
絶頂は、ラスヴェガスでの初日のステージだ。
熱狂に包まれて幕の降りたステージ。
エルヴィスは、ステージ中央でまだ観客の強烈な愛の余韻にひたっていた。妻のプリシアは、下手の袖から「あなたが場を完全に支配していた」とこの天才を讃えた。マネージャーの”大佐”は、上手の袖で今日のステージの完璧さに涙した。
神様は、ステージの恍惚を知った者を決して離さない。
天才が天才でなくなるまで許しはしない。
絶頂は、エルヴィス崩壊のはじまりでもある。
この時、プリシアは、エルヴィスがもう自分の愛では生きられないと、大観衆の熱狂でしか愛を感じられない人になってしまったと悟ったのではないか。
この時、”大佐”は、今日の奇跡のようなステージを超えることはできないと、これからエルヴィスはずっと奇跡の幻影に苦しんでいくと悟ったのではないか。
それからエルヴィスの人生と体が蝕まれていくと、絢爛豪華な映像も影の滲んだものに変わっていく。
スターダムにのし上がったときの目まぐるしい映像はあっという間に過ぎ去っていくが、妻と別れるエルヴィスが階段の下で膝を抱えて子どものように泣きじゃくるショットは今も胸に残る。
「君が40でボクが50になったらもう一度やり直そう」と別れ際プリシアに言ったエルヴィスは、50まで生きることはなかった。
スターというのはどうしてみんなこうなってしまうのだろうか。
ステージの恍惚に憑りつかれ、絶頂を知ってしまった者は、その頂から身を投げるように滅んでいく。
妻を失い、娘を失い、金を失い、若さを失い、名声を失い、取り巻きを失い、愛を失う。
残ったのはクスリに蝕まれ立っていることもできないカラダだけだ。
世界で最も売れたソロアーティストは、どうしてもほしかったたったひとつの愛すら手にすることができなかった。
神様はエルヴィスの栄光と引き換えに、彼のすべてを奪って消えていった。
それからもうひとつ、この映画はエルヴィスの音楽が黒人音楽との融合だという側面を描いている。
エルヴィスの音楽が、人種間の断絶と葛藤するのと呼応するように、アメリカ近現代史における要人たちの暗殺事件もインサートされる。JFK、キング牧師、Rケネディ…人種や主義主張の対立が暴力に変わるとき、それは国がもしくは人間が傷んでいるときだ。
映画が終わりスマホを起動すると、安倍晋三氏襲撃の速報が画面に映った。