映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「はい、泳げません」 『はい、生きられません』と登場してきた男

こんにちはノブです。

今日は、6月10日(金)公開の新作映画「はい、泳げません」です。

みなさんは泳げますか?

では行ってみましょう。

大学で哲学を教える小鳥遊雄司(たかなしゆうじ)は、泳げない。水に顔をつけることも怖い。屁理屈ばかりをこねて、人生のほとんどで水を避けてきた雄司はある日、ひょんなことから水泳教室に足を運ぶ。訪れたプールの受付で、強引に入会を勧めて来たのが水泳コーチの薄原静香(うすはらしずか)だった。静香が教える賑やかな主婦たちの中に、体をこわばらせた雄司がぎこちなく混ざる。

その日から、陸よりも水中の方が生きやすいという静香と、水への恐怖で大騒ぎしながらそれでも続ける雄司の、一進一退の日々が始まる。

泳ぎを覚えていく中で雄司は、元妻の美弥子との過去や、シングルマザーの恋人・奈美恵との未来など、目をそらし続けて来た現実とも向き合うことになる。それは、ある決定的な理由で水をおそれることになった雄司の、苦しい再生への第一歩だったーー。

小鳥遊(たかなし)の葛藤

長谷川博己が演じる小鳥遊(たかなし)は、目の前で溺れる息子を救えなかった過去を持っています。

哲学を教える小鳥遊(たかなし)が、自分の教え子に「なぜ人は生きるか」を考えさせる場面がありますが、小鳥遊こそがその命題にぶち当たって動けないでいます。

きっと「なぜ人は生きるか」の問いは、小鳥遊が綾瀬はるか演じる薄原コーチからプールのレッスンで再三言われる「考えるな」「力を抜け」「身をゆだねろ」が答えなのだろうと思います。

けれど、それができないから小鳥遊は苦しんでいるのです。

 

 

喪失どころか自責の念のなかで苦しみぬく小鳥遊はどうすればいいのでしょうか。元妻・美弥子(麻生久美子)に「なぜ泣かないのか、私と一緒に絶望しろ」と言われ、想いを寄せるシングルマザーの奈美恵(阿部純子)に「(生きることや誰かを守ることを)全部あきらめるのか」と言われ、薄原コーチには「逃げるな、逃げるな、逃げるな」と言い放たれます。

 

「はい、生きられません」

夜のプールの場面。水面のせいで光が揺らめき、まるでこの世ではない幽玄な印象を与えます。そこで小鳥遊(たかなし)はあの日息子を救おうと渓流に飛びこんだことを思い出します。ここはプールなのに息子の幻影を見て我が子の名前を絶叫します。薄原コーチは錯乱した小鳥遊を抱き止め、「水の中なら思い切り泣けますよ」と彼を抱えたまま一緒に潜っていきます

小鳥遊は幾度も泳ぐことを挫折します。この映画において、泳ぐことが生きることの比喩であるなら、小鳥遊は『はい、生きられません』とこの映画に登場してきました。薄原コーチは、涙をゴーグルの下に隠して小鳥遊が泳げることにこだわり続けました。

 

それでも嫌いになれない

ところどころ珍妙に思える演出もあって危うかったんですが、「それでもオレはこの映画を嫌いになれない」と上映中に何度も思いました。それは、小鳥遊にじゅうぶんじゅうぶん同情できたからです。なんだって人はこんな目に合わなきゃいけないんだと。そしてさらに彼の側にいる人たちの優しさというか、思いの寄せ方にも首肯できるものがありました。優しさの程度や距離感に納得できるものがあったんです。だから「こんな残酷な世界をどうしても嫌いになりきれない」とも思わされました。

映画館から帰宅してからふいに泣きそうになった自分に慌てました。さだまさしの「償い」の歌詞がなぜか浮かびました。

 

下の画像は宣伝のメインヴィジュアルで使われているものです。

薄原コーチに見守られて小鳥遊がまさに泳ごうとしているこのショットは、最終シークエンスのものです。臆病で自分勝手な卑怯者だと自分自身を痛めつけ、彼なりに苦しみぬいた小鳥遊が最後にとうとう言った言葉。それは「はい、泳げます」でした。

「はい、泳げます」

プールで緊張して硬直している小鳥遊は、「ブルースリーみたい」と揶揄されていました。さて彼は「Don't think! Feel」になれたのでしょうか⁉

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