映画「帰らない日曜日」 生れてきた時から奪われていた、その凄みをオデッサ・ヤングの裸が教えてくれる
みなさん、こんにちは、ノブです。
今日は5月27日公開の「帰らない日曜日」のレビューです。
惚れ込んでしまい2回劇場鑑賞してきました。
映画的にいいところだらけなんですが、以下をぜひ劇場で体感していただきたいです。
- オデッサ・ヤングの裸がつたえてくれるもの
- オリヴィア・コールマンの電光石火の決めセリフ
それでははじめましょう。
天涯孤独なメイドのジェーンは、英国名家の跡継ぎとの誰にも言えない身分違いの恋に身も心も捧げるが、たった1日がすべてを変えてしまう―。やがて小説家になった彼女は、その1日を生涯かけて手繰り寄せることになる。カンヌ国際映画祭ほか世界中の映画祭が絶賛。絵画のようなイギリスの風景、そして匂い立つエレガントな官能。秘密の恋に陶酔する、眩いほどに美しいラブストーリー。
獣のように自由で美しい裸体
孤児でメイドのジェーン(オデッサ・ヤング)とシュリンガム家の跡継ぎポール(ジョシュ・オコナー)は秘密の関係にあります。
陽の注ぐ邸宅でふたりは抱き合ったあと、ポールは結婚相手との会食に出かけ、ジェーンはこの大きな屋敷にひとり残ります。
裸のままの姿でジェーンは最愛のポールとその家族の屋敷を探検します。
最初、一糸まとわぬ全裸の女が屋敷を歩き回るというのは不思議な光景に思えましたが、だんだんとそれが美しく自然なものに感じてきます。
彼の服の匂いをかぎ、裸足で階段を降り、壁にかかった高級な絵画を眺めます。
高価な花瓶に活けられた豪奢な蘭、その花のいくつかが朽ちているのを見つけます。
それはこの上流階級が斜陽し、朽ちていっていることの象徴のように見てとれます。
図書館に忍び込み、本の背表紙を眺め、机に座り煙草をくゆらせ、一冊の本とペンを拝借します。
キッチンで勝手にパイを食べ、ビールでのどを潤して、遠慮なくゲップします。
仕事の習慣でナイフを流しに片付けようとしますが、思いとどまってそのままにしておきます。
腰まで伸びた髪が亜麻色に光り、白いお尻が奔放に邸内を歩き回わる。
細いペンダントのほか何もまとっていない裸体。
誰もいない最愛の人の邸宅を裸で散策すること。
それはあまりに野性的で、自由で、美しい姿です。
裸というのは無防備で、解放されていて、失うものがない状態です。
これはまさに持たざる人であるジェーンそのものなのです。
人はここまで美しく野性的で自由だと体感できるこのシーンだけでも必見に値します。
監督エヴァ・ユッソンの演出
ポールはジェーンの服を一枚ずつ脱がしていきます。
靴を脱がせ、靴下を脱がせ、ボタンをひとつずつ外し、服のひもをほどきます。
そのときのジェーンの表情をキャメラはひとつひとつ捉えていきます。
監督は画角いっぱいに瞳や唇を切り取るような官能的なクローズアップも駆使します。
ジェーンは恍惚の表情に変化していきますが、照れや引け目は微塵もありません。
メイドとしていつも言葉に「Sir」をつけて慎ましやかにいますが、ここでは獣のような本能的で美しい目をしています。
このあと大きな出来事があり、ようやく1日が終わりジェーンが部屋に帰りひとりになったとき。
彼女は自分で服を脱いでいきますが、それは彼に服を脱がされたさきほどの感覚を思い出していることを観客も一緒に体感します。
そして自分の体の中に残っているポールの匂いをかぎます。
そういうすべてが自然で美しく、同時に悲しいのです。
それを身体的に感じさせてくれるエヴァ・ユッソン監督の見事さです。
持たざる者の凄み
第一次大戦後のイギリスを舞台にしたこの映画は、「持てる」名家たちが、息子たちを戦争で失い虚無感に囚われ、斜陽していく「あはれ」が描かれています。
最後に残された跡継ぎポールも「グッバイ、ジェーン」と言って去っていきました。
対照的に「持たざる」ジェーンは、生れた時からすでに奪われていた存在として、強い眼差しで生きていきます。彼女もやはり人生のなかで失うことを繰り返すのですが、やがて作家になった彼女は「私に傑作を書かせるために私の男たちは皆死ぬの?」とシニカルに言い放ち生命感を失いません。
そしてオリヴィア・コールマン
希代の名優オリヴィア・コールマンが一発で映画を制してみせました。
終始無言無表情で黒目すら動かさずに鎮座していたのに、終盤でジェーンに放ったセリフひとつで、オセロをすべてひっくり返すように場をさらいました。
「あなたに家族は...捨てられたの...あなたには失うものがない。それは強み(ギフト)よ。その強みを武器にしなさい」
そう言い放ったやいなやオリヴィア・コールマンは大粒の涙をこぼしました。
電光石火の一撃に、現代の千両役者の実力をみました。
鮮やか。とにかく鮮やかです。
ジェーン(オデッサ・ヤング)の裸が伝えてくるものに魅了され、それからオリヴィア・コールマンの言葉を自分にグッと引き寄せた人は、きっとこの映画に惚れ込んでしまうと思います。
人の裸を見てこんなことを感じたことは初めてで本当に痺れました。
喪失と痛みのなかで人はどう生きるかを、オデッサ・ヤングの裸が教えてくたのですから。