映画館に帰ります。

暗がりで身を沈めてスクリーンを見つめること。何かを考えたり、何も考えなかったり、何かを思い出したり、途中でトイレに行ったり。現実を生きるために映画館はいつもミカタでいてくれます。作品内容の一部にふれることもあります。みなさんの映画を観たご感想も楽しみにしております。

映画「朝が来る」(再上映) 彼女の衝動を愚かと言ってしまったら、いったい何の人生なのか 

 

辻村深月原作 河瀨直美監督 「朝が来る」

一度は子どもを持つことを諦めた栗原清和と佐都子の夫婦は「特別養子縁組」という制度を知り、男の子を迎え入れる。それから6年、夫婦は朝斗と名付けた息子の成長を見守る幸せな日々を送っていた。ところが突然、朝斗の産みの母親“片倉ひかり”を名乗る女性から、「子どもを返してほしいんです。それが駄目ならお金をください」という電話がかかってくる。当時14歳だったひかりとは一度だけ会ったが、生まれた子どもへの手紙を佐都子に託す、心優しい少女だった。渦巻く疑問の中、訪ねて来た若い女には、あの日のひかりの面影は微塵もなかった。いったい、彼女は何者なのか、何が目的なのか──?

 

スクリーンで再び観られたこと

キノシネマ天神での再上映にて、2年ぶりに劇場鑑賞しました。

本作に限りませんが、劇場側が特集上映や再上映をしてくれることは"映画館派"としてはとてもうれしいことです。

6月から河瀨直美監督の東京五輪のフィルムがかかること。

本作で撮影スタッフとトラブルがあったらしいこと。

それらは承知していますが、作品を映画館という暗がりで観たいという気持ちはいつもあります。

 

演技陣や撮影の魅力

不妊治療に傷ついていた夫役の井浦新が空港で男泣きするシーンは、こちらまで胸がつぶれる思いがします。

もうふたりで生きていこうと決めた夫婦が、旅先で自撮り棒を使ってツーショットを撮ります。そのときスマホのフレームにはおさまらないけれど、井浦新は妻・永作博美の手をつなぎます。永作博美が「(手は)映らないよ」と言うも、井浦新が「いいの」と本当に小さな声で囁きます。

永作博美は慈しむ気持ちが高まったとき、顔いっぱいで笑いながら瞳に溢れそうな涙をためて相手をまっすぐに見つめます。

笑顔と涙のアンビバレントな表情

このようにすべての演技陣の凄みに終始心が揺さぶられる作品です。

木々の揺れ、月の光、海の蒼、旋回するトンビ、工事中の高層ビル。

無言の情景が差し込まれることで、その狭間で人が生きていることを教えてくれる撮影も非常に特徴的です。

しかし、特に書き留めたいのは蒔田彩珠演じるひかりについてです。

蒔田彩珠演じるひかり

中学生のひかりは初めてつき合った同級生を心から好きになります。告白されたときの戸惑う瞳、彼にふれたときのとろけるような瞳、はじめてセックスしたとき涙こぼれる瞳。

そして妊娠。

ここからひかりは社会的に転落していきいます。

中絶する時期は過ぎており、さりとて産んだこどもを育てることは叶わず、心配してくれる親とはどうしてもなじめません。

ひかりは「ベビーバトン」という養子縁組の斡旋施設で子を産んで家に戻ってくるも、今まで憧れていたものをガキくさく感じ、最愛のものを失った今はすべてがどうでもいいものに見えてしまいます。家族とは通じ合えない状態が続きます。

ひかりは久しぶりに会いたかった彼を見かけます。彼のことだけを心の拠り所にしていましたが、声をかけることができませんでした。高校の制服を着て、髪型を整え、さらに凛々しくなった彼。ひかりはタバコの箱を手にしてスウェット姿で彼を遠くから見ていたのです。

もうなにもないひかり。

曲折あって東京に流れ着いたひかりが強面の男たちから搾取されたとき、男たち相手に「どうして私ばっかり」とはじめて感情を吐き出します。すると男が言いいます。

「バカだからじゃねえか」

映画を観ていて、自分にはひかりが愚かだとはどうしても思えないのです。人を好きになって避妊も忘れて抱き合ったことは誰にだってあるのだろうと思うのです。ないにしてもわかるんじゃないか。雷に打たれたように恋に落ちて、理性なんかなくなって愛する人と抱き合う。もしそんな衝動を愚かと諭すなら、何の人生なんだろうと思うのです。

渾身の「朝が来る」というメッセージ

変わってしまったひかりは、育ての親に子どもと引き換えに金を無心するところまで落ちてしまいます。挙句の果てに、「私はその子のお母さんじゃありません。申し訳ありませんでした」と自分には母の資格がないと自責するところまで追い込まれます。

 

ひかりにとってつらい場面が続きますが、だからこそ小さなことが幸福に思える箇所もありました。

そして、ラストシークエンス。

それはまるで行き場のないひかりに、原作の辻村深月や監督の河瀨直美らが渾身で「朝が来る」と訴えかけているようでした。

 

製作陣の思いを受けた永作博美が、ひかりである蒔田彩珠に向けて「朝が来る」とうメッセージを演技で代弁します。朝の光のなかで、産みの母と育ての母が息子の朝斗(あさと)をはさんで邂逅します。その光がどうか希望であってほしい、そう願わずにはいられないラストでした。

 

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