映画「草の響き」 昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか
「草の響き」
監督・斎藤久志
原作・佐藤泰志
弱い光しか射さない函館の情景から映画ははじまる。
少年がスケボーの音を響かせる長いショット。
煤けた街並みではあるが、スケボーと一緒に長回しで疾走する景色が気持ちいい。
何を考えているかさっぱりわからない少年が鳴らす、ボードと路面の擦れる音が気持ちいい。
この少年・彰はのちに主人公の和雄とささやかな交流をすることになる。
精神を傷めて東京から帰ってきた編集者だった和雄(東出昌大)と、その妻純子(奈緒)。
医者(室井滋)からは薬の服用と運動を勧められる。
病院帰りの車中、和雄を癒すために純子はキタキツネを観た話をするが、和雄は猫か犬だろうと素っ気なく言う。
クルマでの会話というのは人が目を合わせないのを基本とする。
道路、土手、港の脇、橋、駐車場。
函館の景色を走る和雄。
狂わないために、狂ったように走る和雄。
純子は、知人のいないこの土地で、朝食をつくり、洗濯をし、仕事をし、愛犬の散歩をし、和雄を見つめる。
和雄の走る距離は伸び、ときおり彰たちと走り、旧友の研二が遊びに来る。
和雄と純子に子どもが授かる。
父に公務員試験を勧められる。
生まれてくる子どもの服やベットが家にある。
何も言わず彰が自殺のように死ぬ。
ある夜和雄は一心不乱に眠剤を口の中に運んでいた。
意識を失っている和雄に純子は「カズオ」と甲高く叫びながらほほを叩く。
精神病棟に見舞いに訪れた純子が和雄と話す。
私が重荷だったの、本当は結婚なんかしたくなかったの、どうしてこんなふうになっちゃったんだろう。
最初で最後の、和雄と純子の表情をスクリーンいっぱいに大写ししたカット。
大きなお腹と愛犬ニコを連れて函館を去る純子。
彼女がふいに見つけるキタキツネ。
こういう作品は好きだ。
好きというか観なければいけない。
こういう作品を観るために映画を観ているからだ。
暗い作品だ。
暗いだけではないが、明るいものではない。
こういう作品に沈み込むことで、自分の中に入っていくのだ。
普段生活しているときにはやることがない、じっと暗闇を見つめるような行為だ。
そうだオレも生きることがよくわからないんだ、いつ狂うか怖いんだ、子どもはほしいけどオレみたいな子どもが生まれてきてほしくないんだ、誰のことも幸せにできないんだ。
まるで暗い行為だが、そんなに悪いことではない。
時にはこうして自分を観るのだ。
映画で東出昌大の絶望を観ているようで、実は自分の内面をじっと観ている時間なのだ。
昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか。
この言葉を思い出した。
うまく生きられない。
だからどうすればいいというものはない。
なんせ原作の佐藤泰志自身が41歳で自殺してしまったのだから。
言えることは静かに狂っていく中でも和雄には、ガーミンを買ってくれる妻がいたし、高校生たちが走るあとをついてきたし、発泡酒を一緒に飲んでくれる友がいたし、ニコという愛犬がいた。きっと純子は和雄を愛していた。少なくとも愛していた時はあっただろう。
純子が几帳面に洗濯物を干したかたわらで、和雄は煙草を吸っていた。
生活を愛そうとした純子と、自分を蝕むことと葛藤した和雄がいた。
東出昌大演じる和雄は、汗でシャツが変色するほどに走る。これは彼の本当の汗なのではないかと思うほどに実在感があった。
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